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現在の日本では、世界各国どこへ行くにもガイドブックが見つかり、なんとか旅行できるものです。戦後日本が復興し、庶民が気軽に海外旅行に行けるようになってから30年も経っていないと思います。
特に『地球の歩き方』が出版されるようになってから、より気軽に海外に出れるような雰囲気ができてきたと思います。アメリカで言えば、『Let's Go Europe 』などのシリーズが若者の海外旅行熱を高めたと思います。 私が最初にヨーロッパに行ったのは、今から20数年前で、その頃には『地球の歩き方』なる本はまだ出ていなかったと思います。その時は『Let's Go Europe 』の本を持って西ヨーロッパの国々を旅行したものです。その当時『Let's Go...』シリーズがカバーしている地域は限られていて、パキスタンに行った時には、何の情報も持ち合わせていませんでした。 こういう時、自ら努力して旅を続けて行く時に、良い体験をすることがあります。逆に全然情報がなかったためにひどい体験をすることもありますが。 飛行機の中で知り合ったアサドという青年から情報を得て、空港からなんとかカラチの街に着き、宿を見つけることができました。その後情報収集しながらイスラマバードまで行きました。パキスタンはほんとうに親日の国です。イスラマバードでは、日本大使館で知り合った、最高裁判所の長官の家に呼ばれ、ご馳走されました。長官はパキスタンは明治維新や日本の経済発展から学びたいと言っていました。一介の旅行者としては考えられえない体験でした。 トルコにも全くの情報なしで行きました。日本でトルコ旅行のブームが起きるずっと前です。知り合ったのはほとんど男のトルコ人でした。女性はあまり見かけませんでしたので。女性は夕方には買い物などには出かけるのでしょうが。映画館で映画の休憩時間に(明るくなって)周りを見回してみたら、全員男だったり。 あちこちのチャイハネでは、日本人だというと歓迎してくれて、アップルティーなどをごちそうしてくれ、オスマンやサムライの話題に花が咲きました。露土戦争でロシアに領土を取られた憎しみか(あれから100年以上経っているが)、日本がトルコの宿敵ロシアに勝利した(日露戦争)喜びからか、日本人は持ち上げられました。 イズミルの街に着いたときには全然情報がなかったので、警察に聞いたら、何と街の中心までパトカーで送ってくれました。とにかく、大都会イスタンブールといい、エーゲ海のリゾート地ボドルムといいあちこちで歓迎されました。 ※ ※ ※ ⇒空港から市内までどうやって行ったらよいかわからない。 ⇒ホテルの情報が全然ない。 ⇒レストランの情報がない。 ⇒交通機関の情報がない。 こういう条件下での旅は、ほんとうに真剣勝負で、緊張感に満ちていています。街によっては悪人がうようよいて、その手の人間に騙されないで通過するほうが、難しいというところがあるので、そんなところに何の情報もなしに飛び込んだら、飛んで火にいる夏の虫です。 上記のパキスタン、トルコは親日国で、日本人ということだけで、一回の旅行者に過ぎないのに大歓迎されましたが(現在はどうかわかりませんが)、現在は世界のあちこちが物騒になってきているので、ガイドブックのない旅は危険といえるでしょうね。「外務省海外安全ホームページ」 はたとえ親日国を訪問するのであれ、一応目を通しておいた方が無難です。全世界の国の危険情報が載っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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