6月8日と9日の話
家に帰って、母と話した。母は「私の膵臓をあげたい」と泣いていた。ずっと眠れなかった母だったがあんまり泣くので、その日はゆっくり朝までほとんど起きないほど寝た。叔父はその夜、家族で二男の誕生日を祝った。火災報知機を気にしながらケーキにろうそくを立てて家族全員で病室で誕生会をやった。叔父のいない染め屋を切り盛りしなければいけなくなった長男も工場で染物をしていた二男も叔父のように指に染料をつけて家族全員がそろって誕生会をした。9日ボブの誕生日だ。8:30職場に行くと先輩秘書に偉い怒られた。「なんで来たの!」私は姪だけど、家族ではないから看取ってはいけないような気がしていた。と言うのはいいわけで、見ていられなかったのかもしれない。病室には娘が一人だった。やっと寝たなと思って一息ついたら急にピーと言う音がした。看護師がやってきて血相を変えて出て行った。あわてて方々に連絡するも、みんな出ない。母が出た、「今エレベーターよ」と言うので早く来てと叫んだ。「お父さんやめて!私一人に看取らせないで! もうすぐお母さんが来るんだからちょっと待って!」と言うと父は両手を振った。病室に母が飛び込んでくる。「お父さん」「お父さん」10:30私の叔父は死んだ。最愛の妻と娘に看取られて。私も父のように慕っていた大好きな叔父さんだった。母にとっては弟で、大学時代は東京で二人で暮らした。狭いアパートには二段ベッドがあり、そこに毎日毎日何人もの友人が泊りに来た。いつも母の背中を押した叔父だった。私の背中も押してくれた。若い人たちにいろんな話をした。誰からも愛されて、誰からも親父のように思われてこの町の中心にいたような人だった。賢者のような人だった。姉が到着したのはそれから30分後のことだった。私は電話をもらい、職場を後にした。荷物をつめるだけつめて一関へ発った。母が泣いていたので、後ろ髪引かれる思いだった。母は「早く行ってきて。そして帰ってきなさい」と言った。え?帰って来いって無理じゃね?と思いつつ家を出た。一関では家族と姉とでおばあちゃんにはおじいちゃんのように急に亡くなったのだと説明したそうだ。糖尿と心臓の薬の問題とで。おばあちゃんは「みんな私を心配して黙ってたんだな。涙も出ねえ」と言っていた。他の話がしたいと思って、私は着物の教室の話をした。もうすぐ試験で8月の認定式でお母さんの紅型の着物を着るんだと。それが大きな間違いで(笑おばあちゃんはおばあちゃんの着物ダンスから次々着物を出し始めた。「だーれ~、お母さんの着物があんたの身体に合うわけないだろう。 お母さん太って寸法直したんだぞー!」「ポリエステルの襦袢でやってんのか?着物のこと知らないと思って ポリエステルの襦袢なんかずれるのに・・」「今から仙台帰って着物持ってきなさい!」ああ・・ママン・・・やっぱりばあちゃんママのママ・・・・。家では「若妻会」と呼ばれるもうすでに孫もいる若妻ではない人たちが手伝いの人たちや家族や私たちの精進料理を作っていた。彼女たちは肉屋や小料理屋の妻だったりして、料理のうまさは半端ない。母の従妹夫婦もきて、おじいちゃんが死んだときの名簿を開く。誰を呼ぶか、新聞の内容はどうか、葬儀委員長は叔父から指名を受けた友人だ次々花が来て、祭壇が設けられる。叔父の友人たちがパソコンを開いて、葬儀の準備をする。こんな葬式準備見たことない。叔父の顔は安らかだった。病室で見たときと全然違う。孫たちが「じいじ起きろ!」と叔父の顔を叩いた。みんな泣いていた。いつも吠えるマルチーズが今回ばかりは吠えない。叔父は最後に愛犬の名前を呼んだ。彼が一番何かを知っているのではないかと思うほどだ。叔父は死ぬ前に「愛染明王」の像を作った。愛染さんの染は染屋の染だ。愛の神様だから愛妻の健康と染屋を守ってほしいから。その顔は叔父にそっくりだった。神様になって家族を守ろうなんて叔父らしいというかかっこつけやがってと言いたくなる。そのドキュメンタリーのような像のできていく様子を子供たちは一冊のアルバムにしていた。「おばちゃん、このアルバム貸してくれないかな。 お母さんに見せたいんだ。」と言うと叔母は快くOKしてくれた。明日は友引で何もないから一度実家に帰ってお金の準備やらをして、そのまままた一関に来ることにした。なんせ、着物も持ってこなきゃいけないわけで・・・。高速を降りて、コンビニでアルバムをカラーコピーした。アルバムは重すぎる。家に帰ると母も学生も泣いていて母は文字盤で弔辞を書いていた。「お母さん・・・この弔辞・・ちょっと読めないよ」印刷して、学生たちと少し話して母とも話して、私はアパートに帰って寝た。JJは、飛行機のチケットが取れなくて私の日本語がわからなくて「葬儀はいつで・・」と話す私に「まだそんなこと言ったらだめなんです」と言った。「ああ、ごめんね。叔父ちゃん死んじゃったんだよ」と言うといつもよりずっと弱い声で「そうか・・そうか・・」と言った。JJは叔父の5メートルのひもの話をしてくれた。叔父がJJに言ったのだ。よく覚えていたな。私は訳すのが大変だったことしか覚えていなかった。5メートルの紐があるとするだろ。それを1m20cmの長さに俺は切りたいんだよ。その長さがベストでどうしても1m20cmにしたい。でも5mしかない。だから今の若い奴は1mに切って5本作ろうとするんだよ。それをあえて1m20cmに切って余った20cmで遊べる男になってほしいと俺は思うんだ。叔父は余った20センチをどう遊んだのだろうか。それがこの愛染明王なのかもしれない。