必要なのは他人の荷の少なさを非難する事では無く、自分の荷を降ろさせる事。
他人が優遇されていると、自分にもよこせと声を挙げずにその他人を咎める。一般に美徳とか道徳とか言われているような「常識」でしょうか。公務員が民間に比べて給料や待遇が良いならば、俺は民間が見習う必要があるように思う。エリートサラリーマンや一部の層に厚遇があるのなら、その対象を滅するのではなく、広く拡大していく事を目指すように声を挙げる方が有意義だと思う。優遇されている事が非難対象であり、非難する事が常識であるのならば、自分の待遇もどこかから見ると優遇されていると非難される事も辞さない覚悟なのでしょうか。自分は大丈夫、なんて楽観的過ぎます。現に非正規雇用と正規雇用の差を埋めるべく、動き始めているのは非正規雇用の処遇改善ではなく、正規雇用者の「既得権益」に非難の矛先が向いていますから。非正規雇用の立場だから大丈夫と安心していられるのも楽観的過ぎるのは現状を知る事が出来るならば言わずもがなです。生活保護費の削減も現実味を帯びていますし、働かざるもの食うべからずと白い目で見られ非難される。当たり前の道徳心として通じる概念ですが、だからと言って労働者を奴隷のように酷使し極限まで搾り取るような企業への労働力を確保する必要性までは無いはず。しかしそうやって斡旋される職業は働けど働けど暮らし向きが良くなるような希望も無い職業ばかり。「働く気があれば選り好みするな」と言われるのなら、そうした欠陥企業はいつまでも労働力を手にし続ける。自分の中にある妬む気持ちが実は巡り巡って今の妬まないといけない状況を作り出している。