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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(神奈川編)
鎌倉宮は別名「大塔宮(おおとうのみや)」と呼ばれ、その名の通り後醍醐天皇の皇子である(大塔宮)護良親王を祀る神社です。
鎌倉宮本殿 鎌倉宮は東光寺の跡に建てられた神社で、護良親王が幽閉されて最期を遂げた場所でもあります。 鎌倉宮本殿の裏側には、護良親王が幽閉されていたとされる土牢がありました。 古典の「太平記」では護良親王が土牢に約1年も閉じ込められたことになっていますが、実際に訪れてみると、いくらなんでも皇子がこんな土牢に幽閉されたていたとは考えにくいところです。 古典の「太平記」は誇張的な表現が多く、実は吉川英治の「私本太平記」では、護良親王が土牢に閉じ込められていたことが否定されています。 「『土牢』は『塗籠』で、すなわり“塗り籠め”―壁ばかりな部屋ということの訛伝であろうか」 「それにせよ、通い戸のほかは、庭口も廊の渡りも、牢御所と名に呼ぶごとく矢来ぶつけ板で囲まれていたこととは想像される」 (吉川英治「私本太平記」より) また「私本太平記」では、土牢説を否定した上で次のようにも書かれています。 「おもえばそんな末端事は訂正してみても訂正のしがいはない。宮の御生涯そのものがすでにこの世の土の牢だった」 いずれにせよ、1335年に足利直義(尊氏の弟)の命で淵辺義博によって殺害され、護良親王は28歳の生涯をここで閉じています。 鎌倉宮の境内脇には、淵辺義博が首を置いたとされる首塚がありました。 さらに鎌倉宮から西へ250mほど行った場所には理智光寺の跡があり、理智光寺の住職が護良親王の首を葬ったとされています。 長く急な階段を登って行くと、護良親王の墓所がありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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