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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:東海道五十三次
府中宿から安倍川を渡ると、丸子宿へと入って行きます。
丸子宿の江戸方見付跡 丸子宿は江戸から数えて20番目の宿場町ですが、東海道五十三次の中でも最も規模の小さい宿場町でした。 丸子宿の旧街道 本陣1軒・脇本陣2軒と、旅籠屋は大小合せても24軒ほどの小さな宿場町です。 現在の本陣跡には、その碑だけが建っていました。 本陣付近の旧東海道 丸子宿は「とろろ汁」で有名ですが、丸子川の橋の手前には歌川広重の浮世絵にも登場する「丁子屋」が今も残っています。 「東海道五十三次 丸子」に描かれた丁子屋 こちらが現在の丁子屋です。 丁子屋は十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場しています。 安倍川を肩車で渡った弥次さんと喜多さんが、にわか雨に降られて丸子の茶店に駆け込んだものの、店では夫婦喧嘩の最中で名物のとろろ汁を食べられなかった話があります。 丁子屋の隣には、その十返舎一九の碑が建っていました。 「けんくハする 夫婦は口をとがらして 鳶とろろにすべりこそすれ」 丁子屋を過ぎて丸子川を渡ると、旧東海道は山麓に沿って通るような形になりました。 丸子城もその山の上にあるのですが、丸子城の麓にあるのが誓願寺です。 誓願寺山門 建久年間(1190~1199)に源頼朝によって建立された古刹ですが、戦国時代の天文年間(1533~1555)に、丸子城の戦火に巻き込まれて焼失してしまいました。 それを惜しんだ武田信玄は、1568年に誓願寺を再建しています。 誓願寺本堂 1614年には豊臣家の重臣で、「賎ヶ岳七本槍」の1人でもある片桐且元が誓願寺に滞在していました。 駿府城の徳川家康に対し、方広寺鐘銘事件の申し開きのために片桐且元は誓願寺に滞在していたのですが、結局片桐且元の申し開きは通ることなく、大阪冬の陣へと続いていきました。 境内の片隅には、その片桐且元の墓所がひっそりと置かれていました。 片桐且元の墓所 誓願寺を過ぎて旧東海道を西へ向かうと、宇津ノ谷峠の要衝へと差し掛りますが、ここにも豊臣秀吉に縁の深い場所がありました。 関連の記事 東海道~府中宿→こちら 東海道~丸子宿(その2)→こちら 丸子城→こちら 決定版東海道五十三次ガイド お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/03/09 10:55:57 AM
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