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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:東海道五十三次
いよいよ東海道も駿河国最後の宿場町である島田宿まで来ました。
問屋場付近の旧東海道 常備人足が136人、伝馬は100頭もいたそうです。 その問屋場跡には、島田刀匠碑も建っていました。 島田刀匠碑 島田の刀鍛冶は室町時代からの歴史を持ち、戦国時代には武田氏や徳川氏の高い評価を受けて、多くの刀鍛冶集団が形成されてきました。 刀剣のその名を残す名刀も島田から数多くが生み出されています。 刀剣もさることながら、島田と言えば「文金高島田」に代表される「島田髷」の発祥の地でもあります。 江戸時代の全国的に流行した島田髷も、元は島田宿が発祥でした。 そんな名高い歴史を持つ島田宿の旧東海道をさらに西へ進むと、大井神社へとやって来ました。 大井神社 境内には、東海道の常夜燈が解体復元されています。 当時の部材を利用して、1年以上の歳月をかけて復元されたものです。 大井神社では「日本三大奇祭」の1つである、「島田の帯祭り」が10月中旬に行われます。 元々は3年に1度のお祭りだったのですが、他町村から嫁いできた花嫁が大井神社に参詣した後、帯だけを大井神社に飾って島田宿の人たちに披露したのが始まりです。 現在では大名行列の後に続いて、25人の「大奴」が晴着の帯を披露するそうです。 境内の大奴像 これも島田髷なのでしょうか。 大井神社の参道には石垣が積まれていますが、大井川の川越人足が河原から持ち帰った石を積んだものだそうです。 てっきり現代になって積まれたものだと思っていたら、ちゃんとした野面積みの石垣でした。 (横須賀城の玉石垣みたいですが、横須賀城は天竜川の川原石を野面積みにしたものです) 大井神社から少し西へ行った旧東海道沿いには、大善寺があります。 大善寺本堂 大善寺の鐘は、島田宿に時刻を告げる「時の鐘」として親しまれてきました。 大善寺鐘楼 大善寺を過ぎたあたりが「上方見付」、島田宿の宿場町もここで終わりです。 上方見付跡 駿河の宿場町もここで終わり、この先にはいよいよ大井川の川越が待ち構えています。 関連の記事 東海道~藤枝宿→こちら 大井川川越遺跡→こちら 東海道~金谷宿→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/03/09 10:54:05 AM
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