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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:東海道五十三次
島田宿の西側には東海道有数の難所、遠江との国境を流れる大井川があります。
現在も「大井川川越遺跡」として、当時の町並みが保存され、旧街道の面影を残しています。 大井川は氾濫を繰り返して来ましたが、1604年の慶長の大洪水では川除堤が決壊して島田宿が押し流されてしまいました。 その後の治水と灌漑工事によって、1644年までに灌漑用水と大堤が完成したのですが、今もその一部が残っています。 大井川大堤 江戸時代になって街道が整備された後も、大井川に橋を架けることは禁止され、駕籠・高台・肩車などで川を渡る必要がありました。 1696年から大井川の川越は本格的に管理・統制されるようになったのですが、その川越を管理していた場所が「川会所」で、現在も建物が移築・現存しています。 川会所 右が水深を測って賃銭を決定する「川庄屋」で、左が賃銭の取立てや川越人足の管理をする「年行事」です。 さらには当時の川越で使われた蓮台や籠も展示されていました。 半高欄蓮台 高欄蓮台 駕籠 一般的には川越人足の肩車で渡っていたそうで、棒につかまって渡る「棒渡し」などもあったそうです。 当時の大井川の水深は平均76センチもあったそうで、当時の川越はまさに命がけでした。 大井川手前の旧街道 この道の向こう側には、大井川の難所が待ち構えています。 広重の浮世絵にも、当時の川越の様子が描かれていました。 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」の意味がわかるような気がします。 現在の大井川 無事に大井川を渡ると、いよいよ遠州に入って行きます。 関連の記事 東海道~島田宿→こちら 東海道~金谷宿→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/03/09 10:53:41 AM
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