|
テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:東海道五十三次
元々は「池鯉鮒」と書いて「ちりふ」と呼んだようですが、現在の地名は愛知県知立市と、表記も変わっています。
日本橋から84里17町(約330km)あり、日本橋からは10日間ほどかかったそうです。 幕末から明治にかけて、農業用に矢作川から取水した明治用水が造られ、現在も明治用水の跡が東海道沿いに残っていました。 池鯉鮒宿の宿場町に入る手前には、約500mにわたって松並木が続いていました。 池鯉鮒の松並木には、珍しく側道が設けられていたのですが、これは池鯉鮒で開催された馬市の馬を、松の木に繋ぐためだったと言われています。 歌川広重「東海道五十三次 池鯉鮒」 毎年旧暦の4月25日から5月5日になると馬市が行われ、このあたりが馬の産地でもあったことから、400~500頭の馬が売られていたそうです。 馬市跡の碑 また馬市の様子は歌や俳句にも詠まれたようで、松並木の途中に碑が建っていました。 小林一茶「はつ雪や ちりふの市の 銭叺(ぜにかます)」 万葉歌「引馬野爾 仁保布榛原 入乱 衣爾保波勢 多鼻能 知師爾」 (引馬野に にほふ榛原入り乱れ 衣にほはせ 旅のしるしに) 池鯉鮒宿の中心部に入ってみると、わずかに道幅だけが旧街道の面影を残している感じでした。 本陣付近の旧街道 宿場町の中心部を抜けたところには、三河国の二ノ宮である知立神社(池鯉鮒大明神)があります。 知立神社の石橋 「東海道名所図会」には、「石橋は神難の外にあり 名を御手洗という。片目の魚ありなん」と書かれているそうです。 (片目の魚は、身代わりとして娘を目の病から救ったためとされています) また知立神社の境内には、重要文化財に指定されている多宝塔があります。 850年に神宮寺が創建された時に建立され、後に知立神社の別当となりました。 現在の多宝塔は1509年に再建されたものです。 なお、知立神社は東海道三大社の1つだそうですが、あとの二つはどこの神社なのでしょうか。 知立神社からしばらく行くと総持寺があり、徳川家康の側室「お万の方」の生誕地でもあります。 総持寺の山門 (上総勝浦城の正木頼忠の娘で、徳川頼宣(紀州徳川家)や徳川頼房(水戸徳川家)の母も「お万の方」ですが、こちらはもう一人の方で、結城秀康の母の方です) 関連の記事 東海道~岡崎宿→こちら 知立城→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/04/05 04:17:17 PM
コメント(0) | コメントを書く
[東海道五十三次] カテゴリの最新記事
|