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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:東海道五十三次
池鯉鮒宿から鳴海宿と続く東海道は、戦国の歴史を変える大舞台でもありました。
1560年に起きた桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を討ち取った場所が、池鯉鮒宿と鳴海宿の間の東海道付近でした。 東海道から目と鼻の先に、桶狭間の古戦場と伝えられる場所があり、史跡公園として整備されています。 伝桶狭間古戦場跡(2009年8月) 公園内には今川義元の墓所があり、公園近くにある高徳院は今川義元が本陣を置いた場所だとされています。 今川義元墓所(2009年8月) 桶狭間の戦場については諸説あって、ここから南西に約2km行った場所にも、桶狭間の古戦場跡とされる場所があります。 今川義元軍は二手に分断されたため、どちらも織田信長軍との激戦地であったことは間違いないようです。 鳴海宿の中心部は、名鉄名古屋本線の鳴海駅付近にあり、扇川に架かる中島橋を渡ると、宿場町へと入って行きました。 狭い道幅の直線道路に旧街道の名残を感じます。 宿場町に入ったすぐのところには瑞泉寺があり、京都宇治市の黄檗宗万福寺の総門を模した中国風の山門が見事でした。 瑞泉寺は1396に創建された古刹で、1501年に現在の場所に移ってきました。 鳴海の豪族であった下郷弥兵衛の援助によって、1755年に現在の堂宇が完成しています。 鳴海宿には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋が68軒あったのですが、本陣付近の街並みはすっかり変わっていました。 道幅も少し広がったようです。 本陣手前の誓願寺には芭蕉供養塔があり、芭蕉供養塔の中では最古のものと言われています。 元禄7年(1694年)の銘文があります。 誓願寺付近には札の辻があったようで、少し離れた場所に高札場が復元されていました。 こうも新しいと、かえって有難味が薄れるように思います。 それでも本陣から少し離れると、ところどころに旧家が残っており、何となく東海道を歩いているような気がしました。 枡形も残っていました。 歌川広重「東海道五十三次 鳴海」 関連の記事 桶狭間の戦い(2009年8月)→こちら 東海道~池鯉鮒宿→こちら 鳴海城→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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