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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
何となく始めた山陽道の宿場町めぐりですが、徳山まで来てしまいました。
江戸時代には長州藩の支藩として徳山藩4万石が立藩され、長州藩初代毛利輝元の子の毛利就隆が初代藩主となりました。 昭和に入ると海軍燃料廠や人間魚雷「回天」の基地があった場所でもあります。 戦艦大和が最期の沖縄戦に出撃する時に片道分の燃料を積んだ場所が徳山で、海軍燃料廠の跡は石油精製を始めとするコンビナート地帯となっています。 旧新南陽市から旧徳山市に入ってくると、山陽道も普通の道路に変わってきました。 旧徳山市には東京の地名がいくつか見られ、ここは「新宿通」の地名がついていました。 旧街道の面影はなくなっていましたが、街道沿いには旅館やビジネスホテルが並ぶ一角があり、昔の旅籠屋の名残かも知れません。 旧山陽道は徳山駅の前を通り、「銀座通」へと変わっていました。 徳山駅北側(在来線口) 「銀座通」の旧山陽道 「青山町」へと続く旧山陽道 他にも「有楽町」や「代々木通」などの地名もあるようです。 街道めぐりと言うより、徳山に来て通っただけのような感じでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/10/03 10:40:37 PM
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