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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
下松市から再び周南市となり、山間部に入って来るにつれて、これまで以上に旧街道の面影が残っていました。
呼坂に入ると旧家の並ぶ光景に変わり、今も昔も変わっていないようにも思います。 呼坂宿本陣 1718年より河内家が代々本陣を勤めてきました。 安政の大獄で吉田松陰が江戸に送られる途中、萩往還から山陽道を通って行きました。 松下村塾門下生の1人である寺嶋忠三郎は、呼坂の先の高水(今市宿)にいましたが、呼坂まで戻ってきて無言の対面を果たしました。 吉田松陰・寺嶋忠三郎訣別の碑 吉田松陰は還らぬ人となったため、まさに訣別の地となりましたが、寺嶋忠三郎自身も禁門の変で久坂玄瑞たちと共に自刃しています。 関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元が防長二カ国に減封され、失意のうちに山陽道を下った250年後、倒幕に向かう長州藩士たちが通った同じ道です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/10/05 07:15:27 PM
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