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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
「あの高森の広い往還を思い出すたびに、なぜ山奥にふいにあんな美しい町並みがあったのか、不思議に思う」
高森出身の宇野千代の小説「ある女の一生」からの一節で、この描写がぴったりの高森宿の宿場町でした。 今市宿から続く中山峠を超えると、高森宿まではずっと島田川の上流部に沿って進むようになりました。 島田川は瀬戸内海側に流れる川で、河口は光市にあります。 (島田川の上流部が高森を流れていることを知りませんでした) 島田川のほとりを行く途中に「城山公園」があったので、まずはそちらに行ってみることにしました。 城山公園 源平合戦の時、源義経軍が西国に向かうにあたり、源範頼が一夜宿陣を構えたと言われています。 この手の話はありがちなので探索はしませんでしたが、丘陵の麓に空掘の跡らしきものがありました。 旧山陽道は高森八幡宮の前で島田川と分かれ、高森宿の中心部へと入っていきます。 高森宿への入口付近にある高森天満宮 祭神はもちろん天神様の菅原道真で、防府天満宮・遠石天満宮と並ぶ周防国三天神の1つだそうです。 そしていよいよ宇野千代の小説にある高森宿の旧街道へと入っていきました。 高森宿の旧街道 ちなみに一番手前の旧家は本屋さんでした。 他の宿場町が旧街道の道幅を留めているのに対し、高森宿では片側1車線に拡幅されています。 宇野千代の描写からすると、高森宿は早くから拡幅されていたのかも知れません。 高森宿の旧山陽道 ホテルとあるのは旅籠屋の名残でしょうか。 佐伯ホテルの向かいにある山口銀行も旅籠屋の跡だったようで、吉田松陰が常宿としていたそうです 防長だけでしょうが、山陽道宿場町の本陣付近には必ず「やまぎん」があります。 (それはそれでわかりやすいのですが) 高森宿本陣も、「やまぎん」の旅籠屋の近くに現存していました。 高森宿本陣跡 本陣は代々相川家が勤め、相川本陣と呼ばれていました。 高森宿では宿場の西の下関側に車を止め、横着をせずに歩いて見て回りました。 一通り見た後で、車に戻ろうとして東の京都側から宿場町を西へ向かって歩いていると、地元の人に呼び止められました。 開口一番、「国体の関係で来たの?」とのことです。 ちょうど「おいでませ山口国体」の開催期間中なのですが、「そんなわけなかろう」と思いつつ「いいえ・・・」と答えると、「じゃあ、テクテク歩き? 最近山陽道歩く人多いね」と聞かれました。 「まあ、そんなとこです」と、実は宿場間は車で移動しているのですが、面倒なので歩いていることにしました。 その「テクテク歩き」の途中で発見したのが、受光寺というお寺です。 街道筋に神社・仏閣はつきものですが、鐘楼門は珍しいかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/10/16 09:40:25 AM
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