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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
これまで山陽道の宿場町をめぐって来ましたが、関戸宿をもって山陽道は終わることとなります。
と言うのも、山陽道という呼び方をするのは山口県内だけだそうで、正式には西国街道と呼ぶそうです。 (したがって、広島県に入ったところでタイトルも「山陽道」から「西国街道」に変わる予定です) 山陽道最大の難所と言われる欽明路峠を越えると、錦川の支流である御庄川沿いを北上するようになりました。 途中、岩徳線の柱野駅付近の川沿いには旧家が密集している場所を通りました。 玖珂宿と関戸宿の間ノ宿である柱野宿の跡だと思われます。 さらに御庄川沿いに進むと岩国の城下町方面との分岐点があり、御庄川に架かる橋には思案橋の名前が付いていました。 思案橋 山陽道は岩国城からは大きく離れた場所を通っているため、城下町に行くには街道を外れて寄り道をする格好となります。 岩国の城下町との分岐点まで来て「せっかくここまで来たので、錦帯橋を見て行こうかどうか」と思案したことが、思案橋の由来だそうです。 ちなみに思案橋の目の前に架かる鉄橋は、JR岩徳線ではなく第三セクターの錦川鉄道錦川清流線(昔の岩日線)です。 徳山宿からずっと一緒だった岩徳線ですが、岩徳線も岩国駅へ行かないといけないので、思案橋付近で離れていってしまいました。 御庄川沿いのローカルな一本道を北上していくと、今度は山陽新幹線の高架と高架駅が現れました。 新岩国駅付近 山陽新幹線の新岩国駅は山陽新幹線開業当時からある駅ですが、他に連絡のない単独駅です。 近くに錦川鉄道錦川清流線の御庄駅はあるものの、徒歩で10分近くかかる場所にあります。 ところで以前こだまに乗って厚狭から広島へ行ったことがあるのですが、トンネルでいきなり減速を始めたので事故でもあったのかと焦ったことがあります。 トンネルを抜けたすぐのところに駅があって、新岩国駅に停車するための減速でした。 新幹線は再びトンネルに入ってしまい、今度は錦川の本流に沿って関戸宿の中心部へと入って行きました。 山陽道は新岩国駅のある御庄地区を通り、関戸宿の宿場町も御庄の北側、新岩国駅の近くにありました。 御庄付近 関戸宿本陣付近の山陽道 関戸宿本陣跡 現在は公民館が建っていました。 関戸宿の中心部からは錦川とも離れ、峠道を行くようになりました。 舗装されてはいるものの、狭い一本道が続いており、ところどころに山陽道の旧道跡が残っていました。 右の分岐が旧山陽道、何とか通れそうですがやめておきました。 さすがにここを車で通るのは無理です。 峠道を抜けると、今度は錦川とは別水系となる小瀬川の河畔へと続いています。 小瀬川は山口県と広島県の県境を流れる川で、山口県では小瀬川と呼び、広島県では木野川と呼ばれています。 当時は小瀬川に橋は架かっておらず、渡船で行き来していたそうです。 渡し場の付近には吉田松陰の歌碑が建っていました。 安政の大獄で江戸に送られる途中、小瀬川で詠んだ歌です。 小説などの中では、吉田松陰は江戸でに着いてもなお、死を予想していなかったように書かれているものもあります。 この歌を見る限りでは、長州を離れるときからすでに最期を覚悟していたのではないでしょうか。 この時吉田松陰が見た小瀬川は、まさに見納めとなりました。 現在の山口県と広島県の県境には橋が掛かっており、両国橋の名前が付いています。 両国橋を渡ると周防国から安芸国へと入って行き、山陽道も西国街道となっていきます。 関連の記事 岩国城→こちら 錦帯橋→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/10/11 11:07:14 PM
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