|
テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
廿日市の地名は、毎月二十日に西国街道の本陣付近で市が立っていたことに由来しています。
海を挟んで向かい側にある厳島神社修築のため、鉄具を鋳造する鋳物師が多く移り住み、物資が多く集まってきたことで市が立つようになったそうです。 廿日市本陣跡 本陣を営んでいた山田氏は、厳島神社祀官の要請により、鎌倉時代に鎌倉から移ってきました。 本陣の跡は公民館の敷地に変わっていますが、四境戦争(芸州口の戦い)の戦火によって、廿日市の宿場町は焼失してしまったようです。 本陣跡の向かい側には、篠尾城跡でもある廿日市八幡宮があります。 広島県になってもなお、街道筋では菅原道真を祀った天神様をよく見かけます。 篠尾城の本城である桜尾城は、篠尾城跡のある廿日市天満宮から東へ400mほど行った場所にあります。 桜尾城大手口付近の西国街道 現在は桂公園となっており、付近も住宅街となっています。 桜尾城の城郭は海に突き出した切岸の上にあったことから、当時は街道のすぐ近くに海岸線があり、厳島がよく見渡せたことかと思います。 旧街道の面影はほとんど残っていませんでしたが、ところどころに旧家が見られ、街道松も残っていました。 長屋門が残る旧家 1812年当時は街道沿いに68本の街道松があったそうですが、今はこの一本が残っていました。 一里塚の跡 廿日市からは広島市内に入り、広島城の城下町広島宿へと続いていきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/10/16 01:04:00 PM
コメント(0) | コメントを書く
[旧街道めぐり] カテゴリの最新記事
|