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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
西国街道も広島市内へと入ってきました。
江戸時代初期の広島城城下町古地図 (旧西国街道を赤線で引いています) 古地図を参考にしながら広島市内の西国街道を歩いてみるべく、JR山陽本線と広島電鉄の西広島駅(己斐)をスタートしました。 ちなみにJRと広電の駅は隣接しているのですが、広電の方は「広電西広島(己斐)」のアナウンスが流れます。 (西広島より己斐の方がわかりやすいとは思います) その西広島駅(己斐)からの西国街道は、太田川放水路(己斐川)に架かる己斐橋を渡っていきます。 古地図では現在ほどの川幅はありませんが、昭和に入って改修工事が進められ、現在の川幅となっています。 太田川放水路の己斐橋を渡ると、福島町へと入って行きました。 このあたりは爆心地からは1kmほどの距離にあり、旧街道の面影はありませんでした。 ところで福島町の地名ですが、やはり関ヶ原の戦い後に毛利輝元に変わって広島城に入った福島正則に由来しており、福島正則の三男を祀る祠があったことに因んでいます。 福島町を過ぎると天満町へと入っていき、名前の通り天満宮が祀られています。 西国街道沿いには天満宮が本当に多く、ここでも天神様(菅原道真)が祀られていました。 天満宮の片隅には後世になって造られた道標がありました。 山口から広島に入ると「山陽道」から「西国街道」となるはずなのですが、ここでは「旧山陽道」の名前が使われていました。 太田川の三角州に造られた広島城の城下町ですが、河口付近で何本にも分流してさらに三角州を形成しています。 天満町を過ぎると、太田川の分流の一つである天満川を渡りました。 天満橋の先には舟入通の電車道が南北に通っており、広電の土橋駅があります。 本線と江波線との分岐点でもあります。 舟入通りを過ぎると堺町に入ってきました。 堺町の名前は大阪の堺から移ってきた境氏に由来しています。 ところで広島と言えばお好み焼きと広島東洋カープですが 一緒になってしまいました。 それでもソースは「おたふく」ではないようです。 堺町の先には本川が流れており、この川が太田川の本流となります。 本川橋 戦後になって光海軍工廠の廃材が利用されています。 本川橋の上流で本川と元安川に分流しているのですが、その分流点に架かるT字型の相生橋が原爆の投下目標とされました。 相生橋(2009年6月) 本川から先の西国街道は平和記念公園の中へと入っていきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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