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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
旧西国街道(山陽道)に限らず、大名や幕府役人などが宿泊する「本陣」は、宿場町の中でも最も格式の高い場所です。
防長二カ国の山陽道では、本陣よりも格式のある「御茶屋」が置かれている宿場町もあり、本陣が民営の宿泊施設なのに対し、御茶屋は長州藩公営の宿泊施設でした。 西国の参勤大名を初めとして、幕府役人や朝鮮通信使などの来賓の宿泊や接待にも利用されていました。 下関・中関と並んで海上交通の要衝であった上関にも御茶屋が置かれ、上関は海路の宿場町としても栄えていた場所です。 その上関御茶屋跡は熊毛南高校上関分校の敷地となっており、正門の石垣が一部残っていました。 正門石垣跡 上関御茶屋跡 三千坪の敷地面積があるそうです。 江戸時代に朝鮮通信使が来航した12回のうち、11回は上関に寄港しています。 上関御茶屋跡から見た上関船着場 朝鮮通信使上関来航図 この大船団の瀬戸内海最初の寄港地が上関です。 上関御茶屋では外交のみならず、学者や文人の交流も行わていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/10/30 09:51:28 AM
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