土井ヶ浜弥生パーク(山口・下関市)
山口県の北西部、響灘の日本海に面した土井ヶ浜では、昔から人骨が出土すると言われており、江戸時代の文献にもその記載があるようです。それまでは元寇で敗退した蒙古兵の遺骨とされていましたが、1931年の調査によって時代はもっと遡ることが判明しました。さらには1958年からの調査によって、約2,100年前の弥生人の遺骨であるとともに、大規模な埋葬遺跡であることが判明しました。現在土井ヶ浜遺跡は「土井ヶ浜弥生パーク」となり、「人類学ミュージアム」が建設されています。人類学ミュージアムでは、土井ヶ浜遺跡の紹介だけでなく、縄文時代からの日本人の形質やルーツについて紹介、展示されていました。内容が内容だけに、展示物にはスケルトンが多くなっています。土井ヶ浜の砂に埋葬されていたため、保存状態が良いそうです。同じく土井ヶ浜遺跡から出土した土器まぎれもなく弥生式土器です。遺骨と共に出土した貝製の装飾品巻貝を加工したもので、貝の装飾は南方から伝わって、遠く北海道でも出土例があるそうです。ところで山口・九州・沖縄の弥生人はその特徴から、「北部九州・山口タイプ」、「西九州タイプ」、「南九州・南西諸島タイプ」の3タイプに分類されるそうです。このうち「西九州タイプ」には縄文人の特徴が見られる一方、土井ヶ浜遺跡の「北部九州・山口タイプ」には縄文人の特徴がなく、日本に弥生文化をもたらせた渡来人だとされています。それでは「渡来人はどこから来たのか?」の問いに対しては、まだ明確な説がないようです。 少なくとも2,300~2,500年前の人骨を調査する必要があるのですが、朝鮮半島や中国大陸での出土量が少ないため、まだ比較研究が進んでいないようです。いずれにしてもこの弥生人が日本人のルーツの一つであることには間違いはなさそうで、ルーツについて思いを馳せていると、ミュージアム内に休憩所「ほねやすめ」がありました。土井ヶ浜遺跡の発掘現場はドーム状の囲いで覆われており、ドーム内には出土した遺骨が並んでいました。ヒーリングミュージックが静かに流れ、スケルトンにも見慣れたところなので、むしろ神秘的な雰囲気です。土井ヶ浜の埋葬遺体は、一度埋葬したものを掘り起こして再び埋葬する「複葬」と呼ばれる方法で埋葬されています。頭蓋骨だけを集めて複葬したもの自分たちの祖先の骨を一箇所に集めて、仲間意識を強めるためだったと考えられていますが、祖霊神信仰の原型がここにあったのでしょうか。その他にも特徴的な埋葬方法が数々見られるのですが、いずれも顔を北西の方向に向けていました。そしてこの土井ヶ浜の弥生人たちですが、ある時期に忽然と姿を消したそうです。それでも2,000年以上も前、確かに「日本人」がここで生活を営んでおり、2,000年の年月を考えると、ご先祖様である可能性はかなり高いと思います。