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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
室津半島と長島の間にある上関海峡は、周防灘の瀬戸内海の要衝にあって、古来より海上交通の要所とされてきました。
室津半島の先端にあり、砲台が置かれていた上関海峡 朝鮮通信使上関来航図 江戸時代には計12回朝鮮通信使が来航し、瀬戸内海最初の寄港地が上関です。 上関は外交の重要拠点でもあり、学者や文人による文化交流の拠点でもありました。 現在の上関船着場 毛利氏と共に移ってきた村上水軍の軍港でもあり、村上水軍が朝鮮通信使の水先案内(パイロット)と警護を務めたそうです。 長州藩公営の迎賓館である上関御茶屋が置かれ、西国大名や幕府役人・朝鮮通信使などの宿泊・接待が行われた一方で、船舶の取締や通行税の徴収を行う上関番所も置かれていました。 移築復元された上関番所 赤間関(下関)の番所にならって建てられたとされています。 また上関は回航する北前船の寄港地であり、東西の積荷の交換などが行われ、物流のターミナル基地でもありました。 長州藩にとっては交易の利益が財源でもあり、「越荷会所」が置かれて積荷の検査や徴税が行われていました。 越荷会所跡 現在も上関には旧家が並び、往時の外交・文化・物流都市の名残がありました。 関連の記事 上関御茶屋→こちら 上関海峡(上関砲台)→こちら 上関城→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/10/30 10:25:38 AM
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