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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
1943(昭和18)年6月8日、戦艦陸奥は謎の爆発によって、安芸灘の瀬戸内海にある柱島沖で沈没しました。
船体や遺留品は、昭和45年より引き揚げが開始され、周防大島の東端にある陸奥記念館に展示されています。 陸奥記念館の入口横には引き揚げられたアンカーが展示してありました。 陸奥が爆枕した柱島の方向 今も艦首と艦尾の一部が水中に残っているそうです。 これまで陸奥の引き揚げ品については、大和ミュージアムや船の科学館などの展示で目にすることはありましたが、これだけ数多くの遺留品が展示されているのは、陸奥記念館だけかも知れません。 大和ミュージアム入口前に並ぶ陸奥の引き揚げ品 柱島の連合艦隊停泊地で起こした大爆発の原因については、自然発火・スパイによる放火・自殺説や駆逐艦による誤爆など、諸説あって未だに不明です。 この原因不明の爆沈によって、乗組員1,471名のうち、1,121名の命が失われました。 陸奥記念館では陸奥の船体のみならず、乗組員の遺留品などが数多く展示されていました。 (館内の展示品の撮影は許可されていますが、ブログへの掲載は禁止されているため、ここではご紹介できません) 遺留品の数々は乗組員の身の回り品などあって、惨劇がリアルに伝わってきます。 さらにビデオ放映のバックには「海ゆかば」が流れており、余計に哀愁が漂っていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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