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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
関ヶ原の戦い後に毛利氏が萩を本拠地と定めてから、萩の城下町と西国街道(旧山陽道)の三田尻(防府)を結ぶ「萩往還」が整備されました。
萩から防府までほぼ直線に約53kmの道のりで、参勤道として利用されたこともあり、「御成道」とも呼ばれています。 現在は国道262号線が萩往還をほぼ踏襲していますが、国道262号線を縫うようにして、旧街道がよく残っています。 (ちなみにもぐもぐりすさんは萩往還を徒歩で走破したことがあるそうです) 萩城下町で起点となるのが唐樋町にある唐樋札場で、当時の高札場が復元されています。 萩の城下町は阿武川から分流する松本川と橋本川の三角州に形成されており、萩往還は橋本川を渡って萩の城下町を後にしました。 萩城下を最後に見下ろす丘陵部には松並木が続いていたそうですが、松並木の間に見え隠れする萩の城下町を振り返って涙を流すことから「涙松」と呼ばれていました。 吉田松陰が安政の大獄で江戸に護送される途中、松下村塾の門下生たちも涙松で恩師を見送りました。 「かえらじと 思いさだめし 旅なれば 一入(ひとしお)ぬるる 涙松かな」 吉田松陰28才の時でした。 旧萩往還に沿うようにして山口方面へのバイパスである萩有料道路が造られたのですが、現在は無料となって県道32号線となっています。 有料道路時代からの「道の駅 萩往還」があり、道の駅内に松陰記念館があります。 松陰記念館前に建つ吉田松陰像 向かって左が高杉晋作・右が久坂玄瑞 左から山縣有朋・木戸孝允(桂小五郎)・伊藤博文 品川弥二郎と山田顕義 松陰記念館の中には、松下村塾と門下生の様子が再現されていました。 ふすまの向こうから窺っているのは山縣有朋だと思われます。 関連の記事 萩城(2011年5月)→こちら 萩城城下町(2011年7月)→こちら 松下村塾(松陰神社)(2011年4月)→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/11/23 03:00:32 PM
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