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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
萩の唐樋札場から萩往還を周防三田尻へと向かって行くと、明木市の次の宿場町が佐々並市となります。
日本海側と瀬戸内海側の中間点近くにあり、萩往還も中国山地の山あいを行くようになりました。 萩往還の旧街道 高杉晋作の功山寺挙兵に始まるクーデターによって、佐々並市の宿場町は戦火に見舞われましたが、宿場町の風情を残す旧家が建ち並んでおり、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。 商店の並ぶ一角では、軒先には屋号の書かれた提灯が並んでいました。 旅籠屋の「はやし屋」 長州の宿場町には必ずと言っていいほど酒蔵があり、佐々並市にも酒蔵の建物がありました。 酒蔵の後ろには煙突が見えています。 酒造倉庫 佐々並市には総家数62軒があり、うち15軒が商人で残り47軒が宿人夫馬持ちだったそうです。 また長州藩公営の御茶屋が置かれており、参勤の時の休憩所として利用されていました。 御茶屋跡 200坪の敷地面積があったようですが、現在はJAの資材置き場になっています。 佐々並市を過ぎると萩往還は国道262号線から分かれ、県道62号線となって山口市へと続いています。 現在の萩市と山口市の市境は防長の国境でもあり、萩往還最大の難所とも言われる板堂峠があります。 板堂峠の手前、夏木原には吉田松陰の詩碑が建っていました。 安政の大獄で萩から江戸に護送される途中、休憩で立ち寄った夏木原で詠んだものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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