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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(香川・愛媛・徳島・高知編)
今治から来島海峡を隔てた大島の北東側、沖合いに浮かぶ能島を望む場所に村上水軍博物館があります。
村上水軍博物館から見た能島 周囲720mほどの小さな無人島ですが、この能島が能島村上氏本拠地であり、因島村上氏・来島村上氏・能島村上氏の村上水軍全軍の本拠地でもあります。 能島の航空写真 村上水軍全軍の本拠地としてはあまりに小さな島ですが、陸から攻めて来られることはまずないでしょうし、潮流の激しい瀬戸内海航路の要衝を抑えるこの場所が最適なのかも知れません。 しまなみ海道の大島南ICを下りた時から感慨深いものがあったのですが、実は私のルーツを辿るとこの大島に行き着き、先祖は村上水軍として瀬戸内海の島を領有していたと聞きます。 (もちろん村上水軍の本家ではありませんが) 私の名字はさほど珍しくもないのですが、数でいうと全国では79番目に多い名字となり、愛媛県では39番目、今治市では17番目に多い名字となるようです。 (今治市の特定の地域では村上氏の次ぐらいに多いそうですが、父方の実家である松山ではさほどでもないようです) 村上水軍を辿ることは、自分のルーツを辿ることでもありました。 村上水軍博物館の碑 能島村上氏の当主、村上武吉像 村上武吉の次男である村上景親像 村上水軍博物館に入ってみると、村上水軍ゆかりの品々が展示されており、その歴史も知ることができました。 おそらく村上水軍のことならばここが一番詳しいのではないでしょうか。 当時の水軍で使われていた安宅船の模型 村上水軍旗が掲げてある以外は、戦国時代にはありがちな安宅だったようです。 小早船の模型 こちらも普通の小早といった感じですが、この小早の操船技術が機動力の源泉だったのかも知れません。 関船の模型 関船の名前は初めて聞きましたが、海上の関を破る船舶の追撃用だそうです。 村上氏の起源や能島・因島・来島の三島に分かれた経緯などは諸説あるようですが、すでに南北朝時代から海上警固や通行料の取立て、さらには略奪などの海賊行為を行っていたようです。 戦国時代には三島の村上氏で芸予諸島を掌握し、各地に水軍城を築いて西瀬戸内海の制海権を握っていました。 水軍城の所在図 この中にご先祖様のお城があるのでしょうか。 能島・因島・来島の村上氏の結び付きはさほど強くなかったようで、四国に近い来島村上氏は伊予の河野氏方につき、広島に近い因島村上氏は毛利氏に従っていたようです。 その中で能島村上氏は独立した存在で、来島村上氏と対立して能島城を包囲されたこともありました。 能島村上氏に伝わる虎蹲砲 文禄・慶長の役で村上武吉の次男村上景親が朝鮮から持ち帰ったものを改造したものです。 豊臣秀吉政権下では海賊禁止令によって力を弱められ、さらには関ケ原の戦い後に毛利氏が防長二カ国に移封になるに伴って、村上氏も周防へと移っていきました。 江戸時代には周防三田尻(防府)で長州藩の船手組を勤めていたようです。 関連の記事 村上武吉墓所(山口・周防大島町)→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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