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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(鳥取・島根編)
2007年にユネスコの世界文化遺産に登録された「石見銀山遺跡とその文化的景観」、石見銀山の歴史を振り返りながら実際に訪れて見ると、改めて鉱山の持つ威力を感じました。
1308年に周防国守護大名である大内弘幸によって発見されたと伝えられ、京都を凌ぐほどの繁栄を誇った大内文化を支えてきたのも、石見銀山あってこそだと思います。 戦国時代には尼子氏や毛利氏などによる争奪戦が繰り広げられ、徳川幕府になってからも、武断派と文治派の対立「大久保長安事件」の舞台でもありました。 石見銀山を仕切っていたのが大久保長安ですが、ここで南房総館山城と石見銀山がつながってしまうのが、自分でも奇特に思います。 幕末の四境戦争(第二次長州征伐)では、石州口で幕府軍を破った長州軍が、まず制圧に向かった先もこの石見銀山です。 最盛期の日本は、世界の銀の3分の1を産出しており、中でも石見銀山は世界的にも知られる鉱山だったそうです。 江戸時代に置かれた「大森代官所跡」から「間歩」と呼ばれる坑道の入口まで、約3kmにわたって大森の古い町並が残っています。 大森代官所跡(石見銀山資料館) 大森の町並は「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定されており、銀山の町として栄えた大森の町並を今も留めています。 代官所地役人宅であった河島家の武家屋敷 江戸時代の大森には6軒の郷宿が置かれ、公用の村役人の宿場や、代官所の命令伝達を行っていました。 郷宿の1つである金森家 同じく郷宿であった熊谷家 世界遺産を有しながら生活する心境というのは想像もつきませんが、旧家の1階が雑貨店に変わっていたり、はたまた文化財に指定されながら一般に公開していない旧家もありました。 いよいよ鉱山区へ入ろうという時、雨と風が強くなってきたので、ここで撤退することにしました。 石見銀山の遠景 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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