|
テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
周防灘の瀬戸内海沿岸には「妻崎開作」・「中野開作」(宇部市)など、「開作」の付く地名があります。
開作は長州藩独特の言葉ですが、周防灘の干潟の干拓のことで、長州藩の直轄事業として行われました。 中でも1668年に行われた高泊湾の「高泊開作」は、400ヘクタールに及ぶ最も規模が大きいものでした。 この干拓事業の時に造られた海水を排水するための樋門が現在も残っています。 潮の干満を利用して排水する仕組だったようですが、遠浅の海を田に変えてしまうので、気の遠くなるような事業だったことでしょう。 長州では「三白政策」の下、米・塩・紙の「三白」の生産が積極的に行われました。 開作もその事業の1つでしょうが、関ヶ原の戦い後に37万石とされた石高も、実収では80万石あったとされています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/04/08 09:24:38 PM
コメント(0) | コメントを書く
[城跡と史跡(山口編)] カテゴリの最新記事
|