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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(大分編)
大分に向かうには、国東半島の根元を通って海沿いに行くのが最短ルートですが、少し寄り道をしてみることにしました。
向かった先は大分市と福岡市のほぼ中間点、大分県の西の端にある日田市です。 日田市は山間部の日田盆地にあり、幕府の直轄地「天領」でもありました。 日田市の中心部から北へ約1kmほど行った豆田町に代官所が置かれ、豆田町一帯には古い町並が残る「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。 代官所から続く御幸通り 商人町として発展したためか、商店が軒を連ねていました。 (御土産物店がずらりと並んでおり、やや観光地化している気もします) 江戸時代中期の創建とされる草野家本家 草野家は1688年にこの地で創業し、製蝋業を営む傍らで、酒造業や掛屋、庄屋業を営んでいました。 ところで旧街道の宿場町にも共通して言えることですが、必ずと言っていいほど酒造と製薬・売薬のお店があります。 日田の豆田町にも製薬業や酒造業の建物が残っていました。 日本丸総本舗 日本丸と書いて「にほんがん」と読み、製薬業を営んでいました。 花月川沿いに並ぶ「クンチョウ(薫長)酒造」の酒蔵 1702年創建の酒蔵を始め、創建当時の建物が残っています。 また、幕末の儒学者である広瀬淡窓は日田の出身で、その実家は「廣瀬資料館」となっていました。 廣瀬資料館(中には入っていません) その広瀬淡窓が1802年に塾を開いた長福寺の本堂(国指定重要文化財) 広瀬淡窓の塾は後に「咸宜園」へと発展し、主な塾生には大村益次郎や高野長英がいました。 大名御用達や公金の出納・大名貸しなどを扱う「掛屋」を中心として発展した商人町だけに、観光客相手の商店の店構えを見ると、それもわかるような気がしました。 日田天領水 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/07/07 02:11:36 PM
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