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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
萩の城下町と言えば、土塀で囲まれた路地に特産の夏みかんのある光景が代表的でしょうか。
その光景はどこにあるかと言えば、萩城城下町の中でも「堀内」地区とその南隣の「平安古」地区に、その代表的な光景を見ることができます。 その「堀内」・「平安古」共に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されており、隣町同士がそれぞれに選ばれた珍しいケースです。 それでも江戸時代の町割りでは、「堀内」と「平安古」の性格は異なっており、堀内が萩城三の丸の城内にあるのに対し、平安古は外堀を隔てた城外にあたります。 当時の三の丸と城外の間の外堀にはいくつか橋が架かっていましたが、堀内と平安古の間に架かる平安橋だけが現しています「。 平安橋(現存) 元々は木橋でしたが、1764年~1771年の明和年間に、他の城下の橋と同様に石造りに変わったそうです。 三の丸の外堀 左側(南側)が平安古で、右側(北側)が旧三の丸の堀内です。 平安橋から城内に入ったすぐの場所に、当時は平安古門の総門と見張り小屋が置かれていました。 平安古総門跡 北の総門、中の総門と並ぶ三の丸の総門の1つでした。 夜中は門が閉ざされ、日中でも通行手形を持たないものは通れない厳重さだったようです。 その平安古総門から先がいよいよ旧三の丸の堀内で、江戸時代へのタイムトラベルの入口でもあります。 ちょっと寄り道をして、平安古総門の先のT字路から分岐する「追廻し筋」を行ってみることにしました。 追廻し筋 長い一本道が続いていますが、その名の通り城内に侵入した不審者を追い込む道だったのでしょうか。 そして追廻し筋の先にあるのが、萩の城下町を象徴的する「鍵曲(かいまがり)」です。 その鍵曲の土塀の上に目を向けると、特産の夏みかんが木々の間に実をつけていました。 これもまた城下町萩を代表する光景です。 さすがに不審者も鍵曲で逃亡をあきらめたこととは思いますが、なお逃げ切れたとしても、その先はT字路になっており、なまこ壁と出格子窓が立ちふさがっています。 うっかりこのT字路を左に曲がって逃げたりすると、橋本川の川岸に追い込まれるようになっていました。 このなまこ壁は現存する口羽家のもので、表門の一部でした。 口羽家表門 武家屋敷の門が現存しているだけでも珍しいのですが、さらに門の中に入ると、武家屋敷そのものが現存していました。 口羽家から堀内の中心部へ戻ろうとしたのですが、T字路や袋小路を行ったり来たりで、毛利輝元の町割りに翻弄されていました。 萩城の三の丸でもある堀内には上級武士が住んでいたこともあり、現在も武家屋敷や塗籠の土塀が続いています。 二宮家長屋門 児玉家長屋 小田原や掛川など、城下町ではなまこ壁の建物をよく見かけましたが、現存するものを見るのはここだけでした。 「江戸時代の地図が使える」とも言われる萩の城下町ですが、T字路や袋小路など、随所に江戸時代の町割りが面影を残していました。 幕末の萩城下の歴史に思いを馳せると、まるでタイムトラベルをしているような気分になってきます。 現代の中に江戸時代が残っていると言うよりも、江戸時代の中に現代があるような、そんな印象的な町並みです。 関連の記事 平安古の町並み→こちら 萩城(2011年5月)→こちら 萩城城下町(2011年7月)→こちら(古萩地区中心です) 「重要伝統的建造物群保存地区」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/05/23 11:38:51 AM
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