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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
阿武川が分流する橋本川と松本川の三角州に形成されたのが萩の城下町です。
江戸時代の地図が使えると言われる萩市内では、「重要伝統的建造物群保存地区」が3ヶ所選ばれており、平安古地区・堀内地区と、浜崎地区がその3ヶ所になります。 (萩市では佐々並市が重伝建に選ばれていますが、こちらは旧旭村で平成の大合併によって萩市となりました) 阿武川から分流して西側で日本海に注ぐ橋本川の河口付近に萩城と堀内・平安古があり、浜崎はその反対側、東側で日本海に注ぐ松本川の河口付近にあります。 その松本川と日本海に面した浜崎には、当時は藩の御船倉が置かれ、軍船や御座船が格納されていました。 長州藩御船倉 この日は特別に御船倉の内部が公開され、CG映像で当時の様子が紹介されていました。 同じ萩の城下町でありながら、堀内・平安古と浜崎の性格は異なっており、町並みにも違いが見られました。 武家屋敷の並ぶ武家町の堀内・平安古に対し、浜崎は西廻り航路の寄港地であり、港町として発展した町並みです。 廻船問屋や土蔵など、武家町とは景観が違った商家町の町並みが残っていました。 (ところで同じ萩市の重伝建である佐々並市は萩往還の宿場町としての性格を持っており、これまたわずかに景観が違っています) 山村家住宅 本通である「浜崎本筋」に面した側は店棟となっており、浜崎本筋を曲がった側には塗籠となまこ壁がありました。 山村家前に限らずこの日の浜崎には人があふれていたのですが、年に一度の「おたから博物館」の日で、長州藩御船倉もこの日だけは内部が公開されています。 その山村家前は特に人が多く、観客席まで設けられていました。 観客席の先に目を向けるとおなじみのマスコットキャラクターがいて、「あれ?まだいたの?」といった感じでした。 昨年2011年の「おいでませ山口国体」のマスコットキャラクター「ちょるる」です。 (防長方言がわかる方には、このマスコットキャラクターの名前の由来がわかることと思いますが、「きらら」でもよかったのではないでしょうか) 実は観客席が設けられていたのは「ちょるる」見たさではなく、奇兵隊のパレードが目的のようでした。 浜崎本筋も賑わっていて、県内各所の特産が集まっていました。 虫籠窓の商家 毎年5月の第3日曜日は浜崎の「おたから博物館」の日で、この数々の旧家に残るお宝が公開される日です。 「坂本龍馬の筆入れ萩焼」とか「伊藤博文の書状」などなど、さすがに萩と言った感じですが、浜崎にある吉田松陰先生の菩提寺である泉福寺にもお宝が公開されていました。 吉田松陰直筆の書状 (許可をもらって撮影しています) 獄中で詠んだ和歌 こんなお宝が普通に展示してあるのですが、なんでも鑑定団に出すといくらまでいくのでしょうか。 他にも萩城下町の古地図などもあり、道案内にはその古地図を指しながら「野山獄はここですね」とか、今もそのまま通用するところがさすがに萩の城下町です。 関連の記事 堀内の町並み→こちら 平安古の町並み→こちら 萩城(2011年5月)→こちら 萩城城下町(2011年7月)→こちら(古萩地区中心です) 「重要伝統的建造物群保存地区」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/05/26 02:47:53 PM
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