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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
山口市・防府市の山陽地方には、この地方特有の花崗岩の岩山が点在しています。
防府市北部にある右田ヶ岳もその1つで、付近を並走する山陽新幹線・山陽自動車道・国道2号線からもその山容を眺めることができます。 旧山陽道から見た右田ヶ岳 その右田ヶ岳には城跡があり、全山が城郭だとされています。 手前に花崗岩のピークが見えますが、本丸はその背後の山頂にあるようです。 最近は体を動かしていなかったこともあり、城跡めぐりという言うよりも、山登りを目的右田ヶ岳に登ってみることにしました。 (登山靴に履き替えて、装備も軽登山用です) 右田ヶ岳の山麓に天徳寺の境内があり、ここが登城道(登山道)のスタート地点です。 天徳寺山門 1192年に源頼朝によって開基された古刹です。 しばらくは木々の間を抜ける歩きやすい道が続いていたのですが、やがて花崗岩の岩肌を登るようになりました。 途中に観音堂があり、花崗岩に刻まれた三十三体の磨崖仏を見るようになりました。 大正時代に寄進によって刻まれたものです。 この辺りからは植生も低い潅木に変わって、岩山の急登攀となってきました。 その分眺望も開けてきたのですが、ここに城跡があったとはまだ信じられませんでした。 (登城するだけで一苦労だったと思います) 山麓に目を向けると、所々に曲輪のような削平地の跡が見受けられ、存外山麓部に城郭があったのではないかと思ったほどです。 岩の間を抜けたり、岩をよじ登ったりと、登城ではなく完全に登山です。 変化に富んだ岩肌を三点支持で登って行くのは、なかなか面白かったのですが、それも最初だけでした。 花崗岩に歩幅のリズムを狂わされ、かなり苦戦をしました。 (体を動かしていなかったツケが一気に回って来たのが最大の理由ですが) 天徳寺からスタートして1時間、まさに這いつくばるようにして山頂に到着です。 右田ヶ岳山頂 右田ヶ岳城は西峰・中峰・東峰に分かれており、右田ヶ岳城の本丸は山頂の中峰ではなく、西峰にあるようです。 本丸のある西峰 標高は中峰よりも低いものの、鞍部に降りてからさらに登る格好になるので、西峰は断念しました。 この花崗岩の岩山に築城するとは、よほどの物好きか狂気の沙汰としか思えません。 それでも中峰の山頂に立つと、周防国の国府である防府市街が一望できました。 周防灘からは風が吹き渡り、登城を開始した時には騒々しかった山陽新幹線や山陽自動車道の通過音も、ここまでは届かなくなっていました。 旧山陽道や三田尻港を一望に見下ろすこの場所は、要衝と言えば要衝なのですが、いまだに城地選定の理由がわかりませんでした。 右田ヶ岳城の歴史は古く、鎌倉時代末期に右田氏によって築城されました。 右田氏は大内氏の庶流で、代々大内氏の一族として右田ヶ岳を本拠地としています。 戦国時代に入り、厳島の戦い後に毛利元就が防長に侵攻して来ると、高嶺城の大内義長は、右田隆豊・野田長房を右田ヶ岳城に置いて、毛利氏の侵攻に備えていました。 1557年、若山城に侵攻した毛利元就の説得により、右田隆豊は毛利方に付いて右田ヶ岳城を開城していました。 大内氏一族までも味方に取り込むあたり、さすがは謀略家の毛利元就です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/02/02 05:27:29 AM
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