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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
徳山港の沖合い約10kmほどの所に大津島があり、徳山港の防波堤のような格好で、南北に約10kmほどの長さを持つ島です。
大津島へは徳山港から定期旅客船が出ており、途中同じ大津島にある瀬戸浜港・刈尾港に寄港しながら、大津島の南端にある馬島港まで、約30分の所要時間でした。 マリンブルーに輝く穏やかな瀬戸内海を眺めながらの、ちょっとしたクルーズではありましたが、徳山湾と大津島の歴史を思うと複雑な気持ちとなり、神妙な面持ちで海を眺めていました 馬島港に着いてみると、待合所と浮き桟橋があるだけの、まるで漁港のような小さな港でした。 大津島の方も観光用のお店が並ぶわけでもなく、お年寄りと軽トラが集まって防波堤で釣りや話をしているような、そんな長閑な島でした。 そんな大津島にはかつて特攻兵器「回天」の基地があり、若い搭乗員たちが日夜訓練を行った場所でもあります。 かつての基地の模型(回天記念館) 回天の整備工場のあった場所は小・中学校の敷地となっていますが、塀や石段などに当時の面影が残っていました。 当時から残る校庭脇の石段 搭乗員の訓練にも使われたこの石段は、「地獄の石段」と呼ばれていたそうです。 また兵舎(現在の回天記念館)に続く急な坂道は、「回天坂」とも呼ばれていたそうです。 小・中学校の敷地にはかつて回天の整備工場があり、港の反対側にの海に向かってトンネルが延びていました。 全長約200mのこのトンネルは、回天をトロッコに乗せて海まで運んでいたものです。 搭乗員もこのトンネルを抜けて、回天に乗り込んで行きました。 トンネルを抜けた先には周防灘の海が広がっており、出口脇には「魚雷発射場跡」の碑が建っています。 「この地より 海の砦として 若ものは征く」 魚雷発射場 昭和14年に建設され、通常の魚雷発射試験場だったものを、回天の発射訓練場にしたものだそうです。 現在もその発射場のピットを見ることができました。 ここから訓練のため、回天が「発射」されたそうです。 回天は乗り物ではなく兵器としての扱いなのか、「出航」ではなく「発射」の表現が使われていました。 回天の訓練においては、習熟度に応じて単純直線往復、大津島半周、大津島一周などがあり、他にも停泊艦襲撃、航行艦襲撃などの訓練を行っていたようです。 かつての回天基地の遠景と訓練海域 全国各地から集まって来た回天の搭乗員、瀬戸内海を見るのが初めての人もいたかも知れません。 回天の中からはその海を見ることはなかったでしょうが、訓練の合間に見ていただろうこの海が、もしも慰めになっていたなら幸いです。 この後はいよいよ回天記念館、搭乗員の方々の切なる思いが伝わってきます。 関連の記事 旧海軍徳山燃料廠→こちら 旧光海軍工廠→こちら 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/04/03 11:05:29 AM
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