|
テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
関門海峡に近い周防灘には、2つの無人島が浮かんでおり、「満珠・干珠」と名付けられています。
周防灘に臨む豊功(とよこと)神社から見た満珠と干珠 長府にある忌宮神社の飛び地境内とされ、現在も立ち入りが制限されています。 そのため数々の植物が原生しており、天然記念物に指定されると共に、瀬戸内海国立公園にも指定されています。 日本書紀にも「興津島」・「平津島」の記述があり、神功皇后ゆかりの地でもあります。 神功皇后が三韓征伐を行うにあたり、下関で戦勝祈願を行ったところ、住吉の神から「干る珠」・「満つる珠」を借りるよう、お告げがありました。 陸側と海側に並ぶ2つの島ですが、どちらが満珠でどちらが干珠なのかについては諸説あって、2つまとめて「満珠・干珠」と呼ばれています。 潮の干満を操る「満珠・干珠」の2つの玉で戦勝した神功皇后は、下関に凱旋して2つの珠を海に返したところ、2つの島が浮かび上がって「満珠島・干珠島」になったと言われています。 どちらが満珠島でどちらが干珠島かについては諸説あり、2つまとめて満珠島・干珠島と呼ばれています。 壇ノ浦の合戦においては、源義経率いる源氏の水軍の集結地でもありました。 周防灘と言えば関門海峡に沈む夕陽のスポットでありますが、満珠・干珠を臨む豊功神社は、周防灘に昇る朝日のスポットとなっているようです。 豊功神社社殿 毛利氏の家紋である「一文字に三ツ星」があり、毛利秀元が櫛崎城を築城するにあたり、城内に鎮座したものです。 豊功神社の周囲には櫛崎城の石垣なども残っており、周防灘から関門海峡を抑える要衝であったことが窺えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/07/27 09:38:41 AM
コメント(0) | コメントを書く
[城跡と史跡(山口編)] カテゴリの最新記事
|