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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
中田宿から県道228線の1本道を行くと、古河公方館のあった古河総合公園を横に過ぎ、ほどなくして古河宿の宿場町へと入っていきました。
往時は約5kmに渡って松並木が続き、松並木の間から古河城の城壁が見えたそうです。 さらには筑波山や日光男体山、富士山や浅間山を望むことができたと言いますが、今は昔の話でしょうか。 それでも古河は鎌倉公方足利成氏が本拠地を移して古河公方を名乗った場所であり、戦国の世世は言え室町幕府に次ぐ関東では最高権威のあった場所です。 江戸時代になって将軍の日光社参では、日光御成街道から日光街道に入った将軍が、古河城を宿所とする慣わしがありました。 日光街道沿いには将軍の休憩所である御茶屋が置かれ、この御茶屋口から御成道を通って古河城へ入城していました。 御茶屋口の碑 かつての御成道 間には「百間堀」があり、土橋を通って御成門へと続いていました。 現在の古河駅西側に古河宿の本陣があったようですが、かつての宿場町の風情は残っていませんでした。 宿場町の中心部を過ぎると、現在の横山町付近で日光街道は西に曲がるようになっており、この辺りに脇本陣があったようです。 かつて脇本陣のあった付近 日光街道は再び北へ曲がって野木宿へと続きますが、県道228号線から外れた道には、旧街道の面影が残っていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/08/17 07:06:17 AM
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