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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(神奈川編)
ハイカーにとっては大山を始めとする丹沢への起点としてポピュラーなヤビツ峠、最近では自転車のヒルクライムやダウンヒルの場所としても知られています。
秦野市内からヤビツ峠に向かう途中にあるのが波多野城で、ヤビツ峠へ到る県道70号線を曲がった場所にあるとされています。 「秦野に城があったのか…」と、全くその存在を知らなかったのですが、場所も非常にわかりづらく、ようやく秦野東小学校の横に広がる田園地帯が波多野城跡だとわかりました。 波多野城遠景 「思わぬところに伏兵がいた」とはこのことで、しっかりと土塁の跡が見受けられます。 それにしても困ったことに、このような場所にありながら駐車スペースがないことでした。 最適な場所は小学校の校庭くらいしかなく、城跡に続くあぜ道に停めると農作業の邪魔になるといった具合で、遠景から眺めるだけで終わってしまいました。 たぶん本丸のあたり どうやら縄張りそのものはシンプルのようです。 戦国時代の城郭ではないと思うのですが、戦略的にここに築城する意味がないように思います。 実はこの波多野城から遺跡が発掘されないこともあって、場所については疑問も呈されています。 波多野城の場所については諸説あって、その1つが波多野城から東に約1kmほど西へ行ったところにある源実の首塚跡です。 史跡としては波多野城よりもこちらの方が目立っていて、むしろ源実朝首塚で波多野城の場所がわかったくらいでした。 源実朝の首塚は公園として整備されており、道の駅みたいに地産のものが売られたりしていました。 時間も遅かったのでほとんど売れてしまっており、かろうじて玉ねぎ4玉(120円)を手に入れました。 (何をしに来たんだ・・・) 丹沢の山に囲まれた平地にあり、城館ならばこちらの方が相応しいようにも思います。 実際に鎌倉時代の遺構も出土しているようで、波多野氏の居館はこちらにあったのかも知れません。 ところで源実朝ですが、「源氏にそんな武将がいたっけ?」と思ったほどで、鎌倉幕府第3代将軍で金槐和歌集の編者である源実朝と、この秦野の地が全く結びつきませんでした。 源実朝は源頼朝の次男で、兄である第2代将軍源頼家の子である源公暁、すなわち甥に暗殺されています。 鶴岡八幡宮で暗殺された実朝の首級は、流れ流れてこの地に葬られたとされています。 源実朝首塚 源実朝の首級は、流れ流れて最後に波多野氏の手に渡ったとされていますが、源氏将軍の首級を居館から1kmも離れた場所に葬るのも不自然な気がします。 そう考えると波多野氏の居館もここにあったとしても不自然ではないように思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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