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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
何とも捉えどころがないのが日光街道で、見付(宿場町の出入口)が残っているわけでもなく、どこからどこまでが宿場町なのか、何だかよくわかりません。
直線で続く旧街道を国道4号線が踏襲しているので、わかりやすいのはありがたいところです。 いつものことながら事前に下調べをしておらず、宿場町の名前だけを書いたメモと地図を持って来たのですが、さすがにそれだけでは心もとないので、日光街道を歩いた人の紀行文を持っていました。 その紀行文は江戸時代に書かれたもので、すなわち松尾芭蕉の「おくのほそ道」です。 「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」で始まる「おくのほそ道」では、そして「春立てる霞の空に白河の関を越えんと」とか、「道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず」とか、旅への憧れだけでなく、この奥州旅行に対する意気込みが感じられます。 それでも深川の芭蕉庵を人に譲って旅に出た後は、千住・草加の記事があるものの、その次はいきなり「室の八島」が出てきたりして、日光まではかなり流している感もあります。 室の八嶋に詣す。同行曽良(河合曽良)が曰く、「此の神は『木の花さくや姫』の神と申して、富士一躰なり」(以下略、特に句が出るわけでもありません) コノハナサクヤヒメと言えば、曽良の言うとおり富士山を御神体とする浅間神社の祭神です。 松尾芭蕉が参詣した「室の八嶋」は下野国都賀郡にあり、小金井宿から石橋宿あたりがその場所に該当します。 その室の八嶋を探そうと、街道沿いの神社を見るたびにその祭神を確かめていたのですが、それらしき神社は見当たりませんでした。 (後で調べてみると室の八嶋とは栃木市の大神神社で、日光街道からは離れた場所にあるようでした) ところで石橋宿と言えば、あの自治医大が石橋にあって、東北本線石橋駅の東側に自治医大の校舎が見えてきました。 自治医大の最寄駅である東北本線の石橋駅付近が、宿場町の中心だったように思われます。 やはりここでも薬局があります 石橋駅前の「ビジネスホテル」は、旅籠屋からの名残でしょうか。 石橋駅を最寄駅とする大学は自治医大の他にもあって、私が4年間通っていた母校も石橋駅が最寄駅でした。 (私の方の石橋駅は阪急宝塚線で、理系学部ならいざ知らず、私は経済学部だったので自治医大や防衛医科大学は遥か遠い存在です) 東北本線の方の石橋駅周辺を探索してみると、開雲寺というお寺がありました。 開雲寺山門 山門脇には「明治天皇・・・」の碑があり、明治天皇の御在所だったのかも知れません。 「明治天皇」までは読めるものの、その後が判読できません。 開雲寺の書院 なかなか立派なお寺で、明治天皇の御在所でもあったことから、由緒のある寺院だと思われますが、他の寺院でみるような誇らしげな解説板などはありませんでした。 その代わりに「和尚さんに御用の方は・・・」などと書かれており、とても庶民的な親しみのあるお寺です。 石橋宿を過ぎるといよいよ宇都宮が近くなり、雀宮宿の次は宇都宮です。 しかしながらある案内標識を目にして道草を食ってしまったため、結局日光街道は石橋宿でタイムオーバーでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/12/14 11:40:51 PM
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