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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
国道4号線の1本道が続いていた旧日光街道(奥州街道)は、宇都宮市内に入る手前で国道119号線が踏襲するようになりました。
宇都宮宿の宿場町は宇都宮城の城下町として町割りが行われ、釣り天井事件の本多正純によって整備されました。 本多正純は日光街道と奥州街道の付け替えを行い、現在の不動堂付近が旧街道と新街道の分岐点だったようです。 不動堂 江戸時代の「新日光街道」は現在の日光街道である国道119号線からも分岐し、伝馬町方面へと真っ直ぐ続いていました。 江戸時代に付け替えられた「新日光街道(奥州街道)」 宇都宮地方裁判所前で日光街道は東に折れ、再び国道119号線となっていました。 現在の伝馬町界隈が宿場町の中心部で、本陣もこの辺りにあったようです。 また、日光街道では千住宿と宇都宮宿に貫目改所が置かれ、荷物の重さを量るとともに運賃が決められていました。 貫目改所のあった場所に裁判所があったり、伝馬町にタクシー会社があったりと、これも旧街道の名残でしょうか。 江戸日本橋から宇都宮宿まで、日光街道と奥州街道は共用でしたが、宇都宮宿の追分で日光街道と奥州街道が分岐していました。 宇都宮の城下町図 一旦東に折れた日光街道は、追分で奥州街道と分かれてすぐに北上していきます。 江戸時代の絵図 描かれている山は日光男体山でしょうか。 現在の追分 追分からは清住町通りが日光街道を踏襲しており、戸祭町付近で再び国道119号線となって続いて行きました。 追分からの清住町通り 所々旧家が建ち並ぶ片側1車線の一本道に、旧街道の面影がありました。 上戸祭町からの日光街道(国道119号線)は、「日光街道桜並木」として、日本さくら名所100選にも選ばれています。 沿道には土塁が残り、約16kmの桜並木が続いています。 桜並木の次は日光街道杉並木、いよいよ日光も近づいてきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/12/30 05:46:12 PM
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