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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
東武日光駅を過ぎたあたりから、沿道には様々なお店が並ぶようになり、東照宮の門前町へと入って行きました。
江戸日本橋から数えて日光街道二十一次の21番目の宿場町、東照宮の門前町でもあった鉢石宿です。 日光物産商会店舗 国の登録有形文化財だそうです。 宿場町の先には沿道の両側に2人の銅像が建っており、1人はあの怪僧天海でした。 (どうも気に入らないので写真には撮っていません) そしてもう1人はこちら 板垣退助です。 戊辰戦争では新政府軍の東山道方面の参謀として、大鳥圭介や土方歳三率いる旧幕府軍と交戦していました。 板垣退助の説得により、日光の社寺は戦火から免れたとのことです。 天下泰平の始まりと終わりの表舞台にいた2人が並んでいるのも、奇妙な感動を覚えます。 その板垣退助が救った日光の社寺は、すぐ目の前にありました。 いよいよここが日光街道の終点です。 くす玉を割るとかハトが飛ぶとかそういうこともなく、他の参拝客に混じって足早に通り過ぎて行きました。 (じっとしていると寒いので) その先には、錦帯橋・猿橋と共に、「三大奇橋」に数えられる神橋がありました。 何事にも「三大なんとか」がありますが、どの分野でも3番目をどれにするかでもめるのが常です。 三大奇橋については錦帯橋・猿橋が当確として、3番目には徳島のかずら橋とも富山の愛本刎橋とも言われているようです。 日光を目指して街道の終点まで来たわけですが、「日光街道の終点まで来た」という達成感もありながら、「もうこの先に日光街道はないんだ」という寂しさもあります。 山に登っている時もそうなのですが、頂上を踏みしめた時には達成感と同時に、目指す頂上がなくなってしまった寂しさがあったりもします。 そんなこんなで様々な思いの交錯する日光ですが、日光に入った時からある人の消息が気になっていました。 もし会うことができれば、実に約15年ぶりの再会となるのですが、雪に阻まれて再会を果たせませんでした。 15年前に初めて会った時は、思わず飛びついてしまった、あの「ニャンまげ」は健在なのでしょうか。 日光街道二十一次 ~完~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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