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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(栃木編)
日光街道宇都宮宿の先には徳次郎宿があり、「宇都宮市徳次郎町」の地名もさることながら、「徳次郎って誰よ?」というのが気がかりでした。
その徳次郎宿や徳次郎町の地名の由来となったのが徳次郎城で、日光街道から300mほどのところにありました。 徳次郎城遠景 ここが徳次郎城虎口でしょうか 名前からして名主の屋敷跡かと、てっきり単郭の居館跡を想像していたのですが、実は曲輪を複数備えた立派な戦国城郭でした。 二ノ丸の空堀跡 二ノ丸の曲輪跡 さらに驚いたことに、ほぼ完璧な状態で遺構が残っていました 本丸空堀跡 保存もさることながら、復元をされた痕跡もなく、ここまで残ってきたのが不思議なくらいでした。 本丸空堀跡 本丸土塁 相当な規模のある城郭で、「徳次郎城」の名前と目の前にある遺構がなかなか一致せず、そのギャップが激しすぎるほどでした。 本丸跡 果たしてここに徳次郎さんが住んでいたのでしょうか。 これまで数多くの城跡を見てきた中で、保存・復元もなく遺構がここまで残っているのは稀なケースだと思います。 ところで城跡を訪れる中でこれも稀にあることですが、何だか空気が重たいというか、「あまり歓迎されていないな~」といった雰囲気がありました。 霊感が強いとかオカルト的な話ではないものの、激しい籠城戦を繰り広げた城跡でもこんな空気を感じたことはあまりないので、ましてや戦火に見舞われたことのない城跡では不思議な感じがします。 徳次郎城は戦国時代に築かれたもので、北条氏と組んで敵対する日光の僧兵に対するために築城されました。 築城主が新田徳次郎昌言で、その通称である徳次郎が城の名前となり、さらには宿場町や地名となって現在にいたっています。 中世武士の慣わしから言えば、「源平藤橘」を朝廷から賜る姓とし、土着する地名を苗字(名字)とするのが通例です。 例えば源義国が足利に土着して足利氏を名乗ったり、藤原宗円が宇都宮氏を名乗ったりと。 本来ならば徳次郎城も元々の地名を氏とし、それが城の名前となるのでしょうが、通称が城の名前となり、現在でも地名となったレアなケースだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/07/05 04:38:24 PM
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