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カテゴリ:旧街道めぐり
新高円寺のクイーンズ伊勢丹の横を起点として、青梅街道から分岐する都道7号線「五日市街道」は、約60kmの道のりを経て武蔵五日市駅が終点となっています。
江戸時代の五日市街道は伊奈道と呼ばれ、武蔵五日市駅からさらに西へ行った現在の檜原街道沿いに五日市の宿場町があったようです。 現在は道路も拡幅されていますが、沿道の所々には旧家が残っていたりしました。 十里木付近 五日市郷土館にある旧市倉家住宅 江戸時代末期の茅葺の古民家ですが、残念ながら屋根を修理中とのことで、中に入ることはできませんでした。 屋号の書かれた土蔵にも、街道の歴史を感じます。 旧五日市街道沿いにも上町・仲町・下町の地名が見られ、この辺りが宿場町の中心部だったと思われます。 (興味深いのは、江戸から遠い方から上町・仲町・下町となっていました) 上町に残る延命地蔵尊 仲町付近 下町の子育地蔵尊 五日市では毎月5と10のつく日に市が立ち、炭の市として江戸の商業圏に入ってきた経緯があります。 五日市街道は通商の専用道としての位置付けだったのかも知れません。 五日市の市神石 かつては五日市街道の中心部に祀られていたのですが、道路の拡張に伴って一時避難していたものの、再びここに置かれた石です。 市神石が一時避難していた場所が阿伎留(あきる)神社で、旧五日市町があきる野市に編成されるにあたって、その地名の由来の一つとなった神社です。 阿伎留神社のイチョウ 合併であきる野市になる前、旧五日市町には阿伎留(あきる)の地名があり、旧秋川市には秋留(あきる)の地名があったりして、合併後に「あきる野市」となったのも納得ながら、平仮名になったのもわかるような気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/03/29 04:41:54 PM
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