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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(神奈川編)
京急線の金沢八景の先に「按針塚」という駅があります。
「三浦按針とゆかりが深くて、墓所でもあるのだろうか」などと気にはなっていたものの、これまでは通過するばかりの駅でした。 今回は別の目的があったのですが、せっかくなので塚山公園をスタート地点として、初めて按針塚駅に降り立ちました。 その名の通り三浦按針の墓所が塚山公園にあるものの、最寄駅であるはずの按針塚からは、結構な距離があります。 塚山公園 「港の見える丘」と呼ばれる場所から眺めてみると、眼下に横須賀港が一望できました。 海上自衛隊横須賀基地に停泊している護衛艦は、ヘリのハッチが見えるほどの距離です。 (ちなみにヘリの基地は横須賀ではなく、房総半島の先端にある館山基地から護衛艦に着艦するようです) 手前の丘陵に隠れていますが、アメリカ海軍基地の手前には、「三笠記念艦」の姿もありました。 呉(広島)の「歴史の見える丘」でも同じ思いでしたが、かつての軍港には計算され尽くした機能美があるように思います。 塚山公園の「見晴台」から南側を眺めてみると、大楠山の山容が見えていました。 オランダ東インド会社のパイロット(水先案内人=按針)、ウィリアム・アダムスが九州に漂着したのは、1600年のことでした。 高校の日本史で三浦按針(ウィリアム・アダムス)の名前は耳にしますが、実はオランダ人ではなくイギリス人だったということを、按針塚で初めて知りました。 ウィリアム・アダムスの乗るリーフデ号が難破して日本に漂着したのは1600年のことで、同乗のクルーには「八重洲」の地名の由来ともなるヤン=ヨーステン(こちらはオランダ人)がいました。 コロンブスのアメリカ大陸発見から始まるヨーロッパの大航海時代、そしてカトリックVSプロテスタント宗教戦争の時代、さらには豊臣秀吉亡き後に漂着したことは、歴史の皮肉というべきでしょうか。 リーフデ号の模型 平戸(長崎)の和蘭商館にて この辺りの経緯は映画「SHOGUN」でも紹介されていますが、徳川家康の重用された三浦按針も、晩年は不遇にも平戸で過ごしていたようです。 遺言により、かつての知行地であったこの地に供養塔が建てられています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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