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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(静岡編)
輪郭式縄張りを持つ駿府城では、二の丸周囲の中堀を一周して、東御門へと戻ってきました。
三の丸には静岡県庁などの公的機関がずらりと並んでいましたが、東御門をくぐって二の丸に入ると、二の丸より内側は「駿府城公園」として整備されています。 2012年(平成24年)に「駿府公園」から「駿府城公園」に名前が変わったそうです。 徳川家康つながりではありませんが、駿府城公園では江戸城本丸と同じ雰囲気を感じました。 市街地の真ん中にありながら、市街地の喧騒から離れて、ここだけぽっかりと穴が開いたような気がします。 かつては本丸の周囲に内堀が巡らされていましたが、明治になって陸軍の連隊本部が置かれたこともあり、内堀は埋められてしましました。 現在では本丸内堀の一部だけが残っており、普通に公園の池のような感じです。 それでも隅石の一部が残っており、打込み接ぎの石垣に当時の城郭が偲ばれました。 本丸と二の丸は水路で繋がれていたようで、その連絡水路の一部も残っていました。 内堀が埋め立てられているため、本丸と二の丸の境目が判然としませんが、二の丸との間にある本丸大手虎口の跡だけは、何とか残っていましたs。 本丸南側の「御玄関前御門」東側の石垣 ここは切込み接ぎで石垣が築かれていますが、「御玄関前御門」の名前の通り、本丸御殿の入口だったようです。 しかしながら、反対側の西側は打込み接ぎの石積みになっています。 現在残る駿府城の城跡は、徳川家康によって築城された近世城郭で、「大御所」としての徳川家康が余生を過ごした場所です。 同時に室町時代の足利将軍の下、代々駿河国守護を務めた今川氏の居館跡でもありました。 駿河国の中心部であった今川氏の時代、おそらく城郭というより、一重か二重の堀で囲まれた中世武家屋敷だったかも知れません。 しかしながら現在となっては、徳川家康の駿府城のみならず、最盛期を誇った今川氏第九代今川義元の居館跡は偲ぶべくもありません。 本丸に建つ徳川家康像 今川義元の時代、ここで人質時代を過ごしていました。 徳川家康お手植えのみかん 駿府城については、復元事業が着々と進んでいるようで、前回の訪問時を思い起こすと、復元が進んだように思います。 徳川家康の時代には天守があったそうで、その復元も計画があるようです。 しかしながら資料が少なく、その天守のあり方については諸説あるとのことです。 駿府城に限らず、史実に基づかない天守を建てることには否定的な立場をとってきましたが、ましてや天下普請の駿府城にあっては、なおさらだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016/07/03 11:09:58 AM
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