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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(静岡編)
駿府城公園を後にすると、向かった先は静岡鉄道新静岡駅です。
静鉄に乗るのは初めてでしたが、駅の看板広告などがノスタルジックで、何とも味わい深い沿線の風景でした。 終点の新清水駅からは巴川沿いに「さつき通り」を南下、目的の清水港船宿記念館にやって来ました。 清水の次郎長親分の船宿「末廣」が復元されています。 船宿の内部も復元されていました。 欄間なども当時のものだそうです。 船宿「末廣」は明治19年に開業され、日露戦争の旅順港閉塞作戦の広瀬武夫中佐も、士官候補生時代に定宿としていたそうです。 等身大の次郎長親分 船宿記念館の建つ巴川の沿岸は、かつては信州や甲州から運ばれた年貢米を、江戸に運ぶための廻船の場所でもありました。 現在の巴川 その巴川を港橋で渡ると、「次郎長通り商店街」へと続いています。 全く人影がなく、「みんなどこへ行ってしまったのだろう?」といった雰囲気です。 その次郎長通り商店街にあるのが、清水次郎長の生家です。 中に入ると、次郎長親分ゆかりの品々が展示されていました。 ちょうど先客がいて、案内係らしき人が西郷隆盛と山岡鉄舟の会見の下りを説明しているところでした。 東海道府中宿(2010年1月) 1868年3月9日に東征軍の参謀西郷隆盛と、徳川幕府の勝海舟の命を受けた幕臣山岡鉄太郎(鉄舟)が会見した場所が、東海道の府中宿(現在の静岡市葵区)でした。 咸臨丸事件の縁で、清水次郎長は山岡鉄舟との縁を深めています。 その他、清水次郎長の数々の武勇伝がイラストと共に紹介されていました。 清水次郎長の肖像写真 清水港船宿記念館として復元された「末廣」の船宿ですが、元々は現在の清水港の一角に建てられたものです。 エスパルス通りから清水港に来てみると、うっかり見落とすほどひっそりと跡地の碑が建っていました。 現在の清水港 次郎長親分の功績によって発展した清水港には、木材を鉄道に積み込むための「テルファークレーン」が登録文化財として残っています。 エスパルスドリームプラザから見たテルファークレーン エスパルスドリームプラザ この日は清水港でイベントがあり、大勢の人で賑わっていました。 さつき通りも次郎長通り商店街も人がいないと思っていたら、皆さんここに来ていたようです。 ところで清水港と言えば、三保半島の先端から清水港越しに見る富士山は、お気に入りの富士見スポットの一つです。 三保半島から見た富士山(2008年10月) 他のスポット、足柄峠・乙女峠・サッタ峠にしても気まぐれな富士山で、あいにくこの日の清水港でも雲に隠れていました。 関連の記事 東海道江尻宿(2009年12月)→こちら 三保の松原(2009年12月)→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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