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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(新潟・富山・石川・福井編)
かつて富山城のあった場所は、富山城址公園として整備されています・
城址公園にある「富山市郷土博物館」の遠景 富山城の本丸では天守の存在が確認できておらず、富山市郷土博物館の建物は模擬天守です。 かつての富山城の西の丸と本丸部分が、城址公園として整備されています。 本丸大手口のあった場所には「鉄(くろがね)御門」の桝形が残っており、石垣は現存するものだと思います。 桝形虎口の跡 石垣は打込接ぎの技法で積まれており、現在ではこの技術で積むのは困難だと思います。 かつては櫓門が建っていたのかも知れません。 富山市郷土博物館(模擬天守です) 公園内には郷土博物館と一体管理されている佐藤記念美術館があります。 佐藤記念美術館 砺波市出身の佐藤助九郎(佐藤工業創業者)が中心となって建てられたもので、現在は富山市が管理しています。 本丸の東側には千歳御門があり、現存する唯一の建造物です。 千歳御門(城内から見たところ) 富山城は1543年に、越中国守護代であった神保長職によって築かれました。 戦国時代の富山城では、一向一揆や上杉謙信によって争奪戦が繰り広げられ、最後は織田信長の家臣である佐々成政が入城しています。 その後1585に豊臣秀吉の征討により、戦国城郭の富山城は破却されました。 近世になると前田利長によって城郭が整備されましたが、1615年の一国一城令により廃城となりました。 1639年に加賀藩より富山藩分藩に伴い、初代藩主前田利次が入城し、富山前田家13代の居城として明治維新を迎えています。 現在の富山市郷土博物館は、太平洋戦争の復興のシンボルとして建てられたものです。 日本城郭協会「続日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/09/04 11:08:06 AM
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