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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(北海道編)
城の防衛上、曲輪の隅の死角をなくすことはもちろん、城内からの反撃を集中させることは、洋の東西を問わない命題だったようです。
従来の日本の城郭建築では、石垣を屏風折れに積んだり、出隅や入隅に隅櫓を築いたりすることでその課題を克服してきました。 西洋の城郭建築では、稜堡を築くことでこの課題に対処しており、五稜郭もその西洋技術を踏襲しています。 五稜郭の模型(五稜郭タワーにて) 結果として幾何学的な機能美を造り出すこととなりました。 北西側の稜堡(内側から見たところ) 北西側稜堡の先端部 北側の稜堡先端部 先端部に造られたスロープは、大砲を運び上げるためのものです。 五稜郭には虎口が3ヶ所あって、うち南側の大手口の「二ノ橋」と北西側の「裏門」が残っています。 裏門の虎口にある裏門橋 大手口と同様、裏門にも石垣が積まれ、「見隠塁」によって城内に直進できない縄張となっています。 見隠塁 切込接ぎの石積みですが、大手口のような武者返し(刎ね返し工法)はありませんでした。 裏門付近の外堀 従来の日本の城郭建築にも見られる「入隅」と「出隅」です。 裏門付近では水堀の外堀に加え、内側にも空堀が掘られていました。 空堀 二重土塁 大手門と裏門の入口以外に石垣は見られず、それ以外はいわゆる「掻き上げ」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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