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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(北海道編)
江戸時代の「箱館」は幕府直轄地であり、五稜郭には箱館奉行所が置かれていました。
箱館奉行所(復元) 西洋の稜堡式城郭ながら、内部には和風の建物が建っています。 箱館奉行所(裏側から見たところ) かつての五稜郭内には、箱館奉行所の付属建物が20数棟建っていました。 手前より土蔵(復元)・板庫(復元)・兵糧庫(現存) 板蔵(復元) 建物跡 西洋式の稜堡城郭に日本式の建物が並ぶ姿は、まさに和魂洋才といったところでしょうか。 1854年の日米和親条約締結によって箱館港が開港されると、江戸幕府は箱館に奉行所を設置しました。 この時に置かれた奉行所の場所は、函館元町の基坂付近にありました。 基坂 箱館奉行所のあった元町公園 ここでは海から近くて防御に不向きのため、箱館奉行所を移転する必要があり、新たに造られたのが五稜郭です。 五稜郭を設計したのは、箱館奉行配下で諸術調所教授役であった武田斐三郎です。 五稜郭にある武田斐三郎顕彰碑 顔の部分が光っているのは、触ると頭が良くなると言われているからだそうです。 1857年に築造が開始され、1864年に竣工して箱館奉行所も移転となりましたが、1868年の明治維新によって幕府の奉行所としての役目を終えています。 明治になって箱館府が置かれましたが、戊辰戦争では榎本武揚の旧幕府軍の本拠地となり、五稜郭が箱館戦争の攻防戦の舞台となりました。 1869年の旧幕府軍の降伏により戦争は終結し、戊辰戦争もようやくこの箱館で終結しています。 日本城郭協会「日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/09/07 10:11:14 PM
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