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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(北海道編)
五稜郭から北へ4kmほどの場所に、同じ稜堡式城郭の四稜郭があります。
四稜郭の入口付近 五稜郭のような石垣造りではなく、総土塁で造られていました。 四稜郭内部 現地の案内図を見ると、全体図は蝶の羽のような形でした。 稜堡部分(内側から見たところ) 大砲を運んだと思われるスロープが残っています。 稜堡部分(外側から見たところ) 外側には空堀が巡らされていますが深さはなく、土塁もあまり高さはありませんでした。 堅固さでは五稜郭にはほど遠いため、未完成のまま終わったのかと思ったほどです。 四稜郭は1869年の箱館戦争の時、旧幕府敗走軍によって築造されました。 五稜郭の背後を固めるのが築造の目的で、旧幕府脱走軍の約200名と付近の村民約100名を動員して、昼夜兼行で急造されたそうです。 新政府軍によって箱館総攻撃の時は、四稜郭にも新政府軍の攻撃が開始されました。 旧幕府敗走軍は松岡四朗次郎の下で四稜郭を防御していましたが、五稜郭と四稜郭の間を新政府軍によって分断されたため、四稜郭放棄して五稜郭に敗走しています。 関連の記事 五稜郭→こちら 億歳金城(台湾・台南市)→こちら(同じ四稜郭の稜堡です) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/09/11 07:07:52 PM
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