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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(北海道編)
北海道で唯一の日本式城郭が松前城です。
三の丸から見た二の丸 三の丸虎口の天神坂門(復元) 二の丸の外堀 二の丸虎口 三の丸・二の丸の他に東郭を備えており、隅櫓と土塀の跡が残っています。 東郭隅櫓跡 東郭土塀跡 本丸から先に行くには、入場料が必要となります。 本丸入口 明治に入って松前城は取り壊されましたが、天守、本丸御門、本丸表御殿は残されていました。 本丸には三層三階の天守が建っていましたが、昭和24年の火災によって焼失し、昭和36年に外観復元されたものです。 天守 亀甲積みの珍しい石積みと共に、天守台には戊辰戦争の時の弾痕が残っています。 天守からの眺望 目の前は太平洋です。 本丸御門(現存、国指定重要文化財) 本丸御門(外側から見たところ) 本丸表御殿玄関(現存) 表御殿の玄関は小学校の正面玄関として残されていました。 松前城は普通に堅固な城郭のように見えますが、実は縄張に欠陥があるとされています。 松前城が現在残る近世城郭に改修されたのは、天下泰平が250年も続いた1854年のことでした。 縄張を行った軍学者、市川一学もセオリーだけで縄張を行ったと思います。 松前城はロシアなどの外国船の襲来に備えて造られたため、艦砲射撃など海のある大手口からの攻撃には堅固な造りとなっています。 しかしながら「搦手から敵は攻めて来ない」とのセオリーにより、搦手の防備は薄くなっていました。 搦手二ノ門(復元) 1868年の戊辰戦争では、新撰組の土方歳三が率いる旧幕府軍に搦手口から侵入され、数時間で落城してしまいました。 個人的には「新撰組=テロリスト集団」と考えています。 それでもテロリスト土方が縄張の欠陥を見抜いていたとすれば、やはり才があったのかもと思います。 日本城郭協会「日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/09/12 11:26:51 PM
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