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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(香川・愛媛・徳島・高知編)
律令制時代の土佐国では、政治の中心地は現在の南国市にありました。
耕作地の広がる畦道に国衙跡の碑が建っています。 国司として土佐に赴任したのが紀貫之で、国衙から北へ300mほどのところにある国司館跡は紀貫之邸跡とされています。 国司館跡(紀貫之邸跡) 紀貫之が撰者の一人として編纂した古今和歌集に因んで、隣にある庭園は「古今集の庭」と名付けられていました。 国府の碑 「土佐のまほろば ここに都ありき」と書かれています。 土佐国衙の北側には「比江(ひえ)山」と呼ばれる小高い山があり、京都から赴任してきた国司が、故郷の比叡山に因んで名付けたとされます。 日吉(ひえ)神社 比叡山の日吉神社を勧進した神社です。 拝殿の隣にある「内日吉」は、紀貫之が土佐に赴任した時に祀ったものです。 紀貫之が土佐から京都に帰るとき、その祭祀を公文氏に託し、現在も公文氏の一族によって守られているそうです。 紀貫之が京都に帰る道中のことを書いたのが「土佐日記」で、日本最古の日記文学にして、最古のブログでしょうか。 ところで、ここを訪れるまで、ずっと勘違いをしていたことがありました。 百人一首で紀貫之の詠んだ歌と言えば 「ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ」 だと、これまでずっと思い込んでいました。 これは紀貫之の従兄弟である紀友則の歌で、紀貫之は 「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」 でした。 改めて読んでみると、紀貫之らしくアイロニーある歌だと思います。 ここに来なければ、これからも勘違いしていたところでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/10/12 01:56:28 PM
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