|
テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(香川・愛媛・徳島・高知編)
香長平野を見下ろす岡豊山に岡豊城があり、戦国時代の四国の覇者である長宗我部氏が本拠地とした場所です。
詰丸(本丸)の櫓から見た香長平野 岡豊城は戦国の中世城郭で、山頂部の詰丸(本丸)を中心として、二ノ段・三ノ段・四ノ段の曲輪が連なる縄張となっています。 土塁や曲輪などの遺構もよく残っており、堅固な縄張の様子がよくわかりました。 四ノ段虎口跡 四ノ段空堀跡 四ノ段の曲輪跡 三ノ段の曲輪跡 三ノ段の礎石建物跡 詰丸に近い場所にあって面積は125平米と広く、鉄鍋や石臼などの生活用品が出土したそうで、御殿のような役割だったかも知れません。 二ノ段の堀切跡 二ノ段の曲輪跡 東側の斜面に配された二ノ段の曲輪から眺めると、土佐国分寺やかつての土佐国衙跡を望むことができました。 二ノ段から見た東側の遠景 二ノ段(二の丸)と詰丸(本丸)の間には、さらに「詰下段」の曲輪が配されており、何とも用心深いことです。 詰下段の曲輪 詰丸(本丸)では発掘調査の結果、建物の礎石跡が発見され、その位置や基礎から天守のような二階建て以上の建物があったとされています。 現在は櫓が建てられていますが、何と平成31年2月末までの期間限定だそうです。 期間限定の櫓というのも中々珍しいことです。 櫓からの眺めはとても素晴らしく、遠く土佐湾の方には太平洋の水平線を望むことができました。 高知龍馬空港も近いので、旋回しながらファイナルアプローチに入るボンバルディアDHC-Q400を見ることもできました。 岡豊城から西側に続く稜線上には独立した曲輪があり。「伝厩跡曲輪」と名付けられていました。 伝厩跡曲輪に続く堀切跡 伝厩跡曲輪 伝厩跡曲輪から見た西側の眺望 岡豊城の築城は13世紀から14世紀とされ、後に土佐から四国の覇者となる長宗我部氏の本拠地でもあります。 一時は岡豊城を失いましたが、長宗我部国親の時に岡豊城を奪還し、その子長宗我部元親の時には岡豊城を拠点に四国を統一しました。 隣接の高知県立歴史民俗資料館にある長宗我部元親像 豊臣秀吉に降伏した後は土佐一国となり、1591年に本拠地を浦戸城に移してからは、岡豊城も廃城となっています。 日本城郭協会「続日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/09/25 10:33:08 PM
コメント(0) | コメントを書く
[城跡と史跡(香川・愛媛・徳島・高知編)] カテゴリの最新記事
|