|
テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(神奈川編)
律令時代の相模国府の場所については、諸説があって特定されていません。
それでも相模国の国分寺のあった場所は特定されており、海老名市にあったことがわかっています。 相模国国分寺遺蹟碑 相模国分寺も他の国分寺と同じく、七堂伽藍の伽藍配置だったようです。 現地にある復元図 聖武天皇から「国分寺建立の詔」が出されたのは741年のことで、すでに8世紀半ばには平城京の天平文化が全国各地に広がっていたことになります。 南面廊跡 かつて金堂や僧坊のあった場所には、礎石が残っていました。 金堂跡 僧坊跡 今は礎石だけが残る伽藍の跡ですが、ここに天平の甍を頂く建物があったと思うと、歴史のロマンを感じます。 さらに七重塔のあった場所には、基壇も一部残っていました。 七重塔跡 高さ65mの七重塔が建っていたそうです。 海老名駅東側の海老名中央公園には、七重塔が復元されていました。 実物の3分の1スケールなので、周囲の景色に埋もれてしまった感があります。 現在も相模国分寺は存続しており、真言宗の寺院になっていました。 本堂 境内の鐘楼にある梵鐘は、1292年に国分季頼が物部国光に鋳造させ、寄進したものです。 物部国光鋳造の梵鐘(国指定重要文化財) 歴史の教科書では、741年の「国分寺建立の詔」によって、全国に国分寺が建てられたと習いました。 東大寺の大仏など、奈良の都だけでなく全国各地に統一の仏教寺院が建てられたことは、実は大いなる偉業だと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/03/07 11:03:25 PM
コメント(0) | コメントを書く
[城跡と史跡(神奈川編)] カテゴリの最新記事
|