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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(神奈川編)
京急本線に金沢文庫という駅がありますが、「あの金沢文庫かな?」と気にはなりつつも、通過するだけで降りたことはありませんでした。
日本史の教科書でおなじみの金沢文庫は、鎌倉幕府の重臣北条実時が創建した称名寺にあります。 北条実時が居館の中に建てた持仏堂が称名寺の始まりで、二代目の北条(金沢)顕時が伽藍の整備し、さらに三代目の北条貞顕によって七堂伽藍が完成しました。 鎌倉幕府の崩壊と北条氏の滅亡により、称名寺の伽藍も当時の姿を失ってしまい、現在は江戸時代に再建された建物が残っていました。 称名寺惣門(赤門) 1771年に再建されたもので、再建当時は茅葺だったそうです。 塔頭光明院表門 1665年の建造で、移築物を除けば、横浜市で造営年代が判明している最古の建造物です。 仁王門 1323年に作られた「称名寺絵図並結界記」の伽藍図にも描かれていますが、現在の仁王門は江戸時代後期の1818年に再建されたものです。 仁王門を通ると、北条(金沢)貞顕の時代に造られた庭園が広がっていました。 称名寺庭園 1320年作庭の浄土式庭園で、池に架かる反橋と平橋の先に金堂があります。 反橋の上から見た平橋と金堂 金堂 1681年の再建で、再建当初は茅葺でした。 金堂の隣には茅葺の建物があり、こちらが釈迦堂です。 釈迦堂 茅葺の屋根ですが、再建は金堂よりも新しく、幕末の1862年の再建です。 称名寺の伽藍には再建された建物以外にも、三重塔や講堂などもあったようです。 また、庭園は浄土曼荼羅の構図に基づいて作庭されたもので、時代的にも浄土庭園の形態を残す最後の庭園と言われています。
しかしながら、称名寺の伽藍と庭園が完成した1323年から10年後、鎌倉幕府と共に滅亡していまうとは、皮肉な話だと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/03/09 12:23:52 PM
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