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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(神奈川編)
ゴールデンウィークまではあまり活動できていなかったのですが、連休に入ってようやく動き出すことが出来ました。
向かった先は、同じ神奈川県内でも静岡や山梨の県境にある山北町、河村城です。 現在は河村城址歴史公園として整備されており、大手口にある「馬違戸」に3台ほどの駐車スペースがありました。 手前にいるのが、実は初見参の私の「彼女」、フェアレディZ(Z33)です。 戦国の山城に場違いなクルマで来る私が悪いのですが、ゼットの方も狭いコンクリート舗装の道を走らされて、またもやご機嫌ナナメです。 (それでも国道246号線に戻った時には機嫌も直り、東名高速ではご機嫌なゼットでした) 現地の縄張図を見る限りでは、曲輪が複雑に配されており、どこが大手かわからない感じでした。 河村城縄張図 途中で改変されたのか、変な縄張です。 駐車場のある「馬違戸」と「大庭郭張出」の曲輪の間には、大きな堀切が残っていました。 大手の堀切跡 堀切を越えて大庭郭に入ってみると、視界が開けて海と山のパノラマが見事でした。 丹沢の前衛峰 相模湾 大庭郭跡 大手方向の遺構を見る限り、戦国城郭にしてはあまり堅固な印象はなく、戦国時代の関東の「天下泰平」、北条氏によって改変されたものかと思われます。 そして「大庭郭」の先の堀切には、障子堀が残っていました。 障子堀(下から見たところ) 障子堀(上から見たところ) 障子堀と言えば北条流の築城術です。 河村城が北条氏の支配下にあったことは間違いなさそうですが、甲斐・相模・駿河の国境にある戦国城郭は、そう簡単に割り切れそうもありませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/05/09 10:23:05 PM
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